FC2ブログ
旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2011.09.25
 273●タイの小さな村で
武蔵野美術大学近代文明論
273●タイの小さな村で

スケッチをしていた時の話。タイの小さな村で、トラディショナルなタイハウスを発見した。僕は喜び勇んで訪ねる。その家には人が住んでいる。人は住んでいるけれど恐る恐る入って行って、目で挨拶をして、家を眺める。別棟の蔵の前に縁側みたいなべランダがあって、そこに座って絵を、描かして下さい、とも言えないから、目でそれを伝えて描き始めて……、その時は、子供たちがいませんでしたから、大人たちが3、4人いて、なんだろうって感じでずーっと注意深く柱の陰からね、チークの丸い柱があるんですけれど、そういったところからこう、うかがいながら見ている。あいつ、何をするんだろうって。僕も彼らの心理状況がわかるから、ああ彼ら見てるなと把握している。僕はタイハウスを描くわけですよね。彼らはとにかく、じっと見ているわけ。見続ける。後ろに来て見るっていうんじゃないんですよ。柱の陰でこっそり見ている。僕は一生懸命描いている。ずーっと描いてる。ただひたすらそれが続いてね、色を塗り始めたんです。色を塗り始めて僕は……、今日はたまたま持っているんだけれども、これが絵の具だ。これで描くわけです。これはフィルムの空箱、これに絶えず水が入っていて、いつでも描けるようにしてある。これだけの水で描くんですよ。水が濁っても変えない。だから僕の絵は、全体的にひとつの色味がこれで調整されるというか、馴染む。そんなふうに描いていた。
彩色していて、例によってだいぶ水が濁ってきた。そしたら柱の陰で見てた若いご主人が、静かにサーッとやって来てね、フィルムの空箱の水を取ってね、どこかに、家の裏の井戸でしょうね。そして、水をきれいにしてね、また、僕の前に丁寧に置いていくんだよね。非常にうれしかったです、それはもう、うれしいですよ。
2011.09.17
 228★五感を研ぎ澄ませる
武蔵野美術大学近代文明論
228★
ネパール/世田谷美術館ー2

実は先週の金曜日、12日に、つまり四日前に帰ることになっていたんですが、旅というのは、思い通りにはいかない。12日にカトマンズを発ってそのまま香港経由で東京に戻ってくる予定だった。これはもう一般的に言うと、揺るぎないスケジュールなんですが、たまたま偶然の不幸というか、幸運というか、ロイヤル・ネパールがストライキだった。飛行機が飛ばないんですよね。みんな困っちゃって、ちょっとパニック状態。そこで僕はニコッと笑ってみたりする。予定が崩れるということはわくわくすることなんです。この先いったいどうなるんだろう、という感覚がいいんだな。でも、みなさん忙しい人たちですから、帰国後のことをいろいろ考えてあせっている。それは僕も同じですけれどね。でも、飛行機が飛ばないんじゃどうしようもないですよね。バスポート盗まれたわけじゃないし、拉致されたわけでもない。とりあえず、あわてる、次に大きく構える。そして、なんとかなるさと諦める。最終的に、さてこれからどういう展開になるのかな、というように観る。
飛行機が飛ばなくなった、といっても僕は無力ですから立ち往生するだけでどうにもならない。で、言葉のわかる仲間が一人いまして、現地のガイドと、交渉してどうやらバングラデシュのダッカに飛ぶ、ということになった。インドの隣の国で、今は大変な雨季で、もう水だらけ、なるほどなるほどと思って飛行機の上から見ましたけれど。ダッカでトランジットになりまして、空港で現地のカレーを食べさせられて……、いや、いただきまして……、下痢をして。(笑)
これからどうなるんだろうと思ってしばらく寝て待っていたら、今度はバンコクに行くということになってね。バンコクで夜中に降ろされて、どこに泊まったらいいかわからない。僕はバンコクというのは東南アジアに行く時の基地にしている街でもあるんです。僕がいつも泊まってる安宿で、汚いけれどにいいかな? とか言って、みんなを連れて行ったんだけれど、ここは泥棒宿とも言われていて、Mホテルに行くといろんなものを盗まれるから気をつけろ、という噂がある。でも夜も遅いし仕方ないですよね、みなさん、断るわけにもいかない。
まあ、ヒマラヤのトレッキングをしていますと、とんでもないところに泊まるんですよ。テントに泊まったり、とてもプリミティブな素朴な宿、三和土の土間があったり、草葺きの家とか、石積みの壁や屋根、ロッジと言いますけど、電気も何もない、ローソクだけ、せいぜいケロシンの灯り、というようなところに泊まっていますから、タイのMホテルがヒッピー宿だと言ってもかなり豪華に映る、だから大丈夫だろうと思って、連れ込んだ。バンコクで夜も遅かったんですけど、近くの屋台でタイ料理を腹一杯食べまして、そして旅の総括をちょっとやったんです。いい感想が出てきました。その感想はいずれまた。つまり仕事で行った、と言ったんだけれど、ネパールでは仕事の話は一切しなかったんです。みんな、ただひたすら歩いただけの一週間、歩き続けて足が壊れた人もいる。

僕はいろんな場所を旅するんだけれど、言葉がほとんどできないんです。コミュニケーションの手段というのは英語のカタコトです。わりと現地にすぐ馴染みやすい体質だというふうに回りから言われてますが、まあ、言語の上ではそうでもなくて、最低のレベルの言葉をその場で覚える。それぐらいしかわからない。
だが、手ごたえっていうのはいつもあるんですよ。これはどこにいっても、中国に行っても、韓国に行っても、タイに行っても、インドに行っても、ネパールもそうですが、伝わる。
言葉が伝わる。言葉がしゃべれないから伝わることもある。これはちょっと話せないひがみも入っているかな。話せればもっと深くわかりあえるのに、いろんなところに生きてる人の人生も分かち合えるのにと思うこともずいぶんあります。でも、話せなくて残念だなと思う反面、言葉がわからなくても大丈夫、という感覚もあるんです。そのぶん、視覚、聴覚、味覚とか、嗅覚とか、あと触覚かな、つまり五感を研ぎ澄ませて感じ取る、そういう訓練をしているのかもしれない。同行のメンバーもほとんどそうだったと思います。つまりひたすら歩いていた。


2011.09.12
 227★ ネパール/世田谷美術館
武蔵野美術大学近代文明論
227★
ネパール/世田谷美術館

佐野さん、いいですね。
今、紹介していただいた鈴木喜一です。実は、ここに座って、やっとホッとした状況で……。先程、佐野さんから話がありましたように、昨日の午後4時半までは香港にいまして、しかも、空港にスタンバイの状態で、キャセイに予約を入れていなかったものですから、果たして帰国できるかな、と思っていたりして......、今日、世田谷美術館で話をするということは自覚していて、とにかくここにいることができて、みなさんの顔を見れてよかったな、と思っています。
ということで、昨夜、日本に辿り着きまして、ガバッと寝て、リュックもそのまんま。この小さなリュックで旅していたんですけれど、ここに入っていた荷物をバッと全部あけて、今日見てもらうスライドをガバッと入れて、やってきた。
今日は、「世界のバザール」というテーマですね。僕がここ10年余り、暇を見つけてはいろんなとこに出かけて行く。半分仕事、半分遊びなんですけれど、実は真剣な遊びだ、というふうにも意識しています。その旅の中から主にバザールのスライドを選んで編集をしたものをあとで見てもらいます。約30分のスライドショーです。
どこのバザールかといいますと、韓国南部の港町、それから中国の雲南省の大理という町、ここはとても素敵なところです。大理は省都昆明から北にバスで8時間程行った地点にあります。その次に、タクラマカン砂漠をこえてシルクロードの交易の中心地、カシュガル、ウルムチといったあたり。それから最近ミャンマーという国になりましたけれど、ビルマのバザール、ビルマからエジプト、イスラエル、トルコのバザール、最後にユーゴースラビアのバザールを見てもらいます。自分で言うのもなんですが、写真がなかなか臨場感に溢れています。その場の雰囲気、バザールの活気というのが伝わってくるんじゃないかと思います。その写真とあわせて音楽を構成してあります。
昨日、僕は香港にいた、なんて急に言われても、みなさんわけがわからないでしょう。もうちょっと詳しくお話ししますと、僕は香港に行ったのではなくて、ネパールの山を歩いていた。仕事が絡んでいて、11人の建築家のパーティーでヒマラヤのトレッキングに行ってきた。メンバーたちと一緒に山を歩きながらつらつらとですね、これからの人生のこととか、教育のこととか、建築のこととかをよく考えようと。
今、比較的大きな仕事をしていますが、ひとつ間違えると環境破壊にもなる、というような建築を手掛けていて、一緒に仕事をしているメンバーたちと、ヒマラヤの大舞台をひたすら歩いて、一人ずつ歩いて考えてみようという、わりと大仕掛けな、まあ旅といっていいか、そんなことをしていた。現在、いろんなところで環境のことや、景観のこと、自然のことが問題になっていますね。建築をつくる場合も、それは重大なテーマであるわけです。
2011.09.09
 海の脅威
2011090761.jpg
海の脅威(photo by kiichi suzuki 20110907)

【武蔵野美術大学近代文明論】
206
★穏やかな海だけが
近代文明論講義のテキストを推稿しながら、南三陸町志津川を訪れている。2011年9月7日の海は快晴の穏やかな海だ。惨禍を物語る瓦礫が風に吹かれている。
2011.09.06
 206☆すべてがある場所
【武蔵野美術大学近代文明論】
206
★すべてがある場所

その島に行った時にね、ゴールデンウィークだから島は混んでるだろうってみんな思うかもしれないけれど、その島は全く混んでいなかった。船着き場の人にどんなとこですかって聞いたら、何にもないところだって言うわけね、何もない場所……。何もない場所という答えはわりと気に入ってる。なにもないとこ、ふーん、と言ってみる。民宿が一軒だけある。じゃあ、大丈夫。何もない場所で泊まる所がある、もう絶対大丈夫だっていうのが僕の気持ちの中に生まれる。
歩いてみる。本当に何にもない。家が10軒ぐらい。もちろん、食堂もなければ喫茶店もない。駄菓子屋さんもなければ酒屋もない。民宿を訪ねてみる。表札を見て、あっ、ここだな、なんて言いながら、「民宿ですか」って聞いてみると、「うちじゃないよ、民宿はあっち」という答え。「でも表札が」って言うと「この村はみんな同じ洲本姓なんですよ」「ああ、そうですか」って感心しながらながら民宿に行った。そういうところ、まだ日本にもいっぱいあると思うけれど。
たったひとつ自動販売機が船着場にあった。缶コーヒーくらい飲みたいな、と思って単純に喜ぶ。そうすると《故障中》の札がかかっている。3日ほどいたんだけれど直す気配が全くない。あれはずっと故障中だろうって思ってるんだけれど、つまり、自動販売機も機能してない。困った、というよりも、これはおもしろい、と思った。僕は、そんな場所にいた。要するに何もないところなんだけれど、すべてがあるという場所を感じていた。
2011.09.06
 205★時間どろぼう
【武蔵野美術大学近代文明論】
205
★時間どろぼう

これからは時間っていうのはもう少しちゃんと考えなくてはいけない時代にさしかかってきている。時間をどんなふうに使って生きていくかということは、君たちの重要なテーマになってくるだろうと思いますね。だれにもある自分の時間が奪われているというような感覚。
実は昨日もちょっと病院に行っててね、その間、病院のあまり感じのよくない待合室で、そのゴールデンウィークの島でふと思い出した本を読んでいた。この本なんですが、読んだことのある人いるでしょ、『モモ』っていう本ね。
童話なんだけれども、小学校5~6年生向きって案内されている。この『モモ」という本、子供の時分に、読んだことのある人いるかな。読んだことある人、どのぐらいいる?手をあげて。
随分いるね。ここには時間のことが書いてある。子供の頃に読むのと、大人になってから読むのと全然感覚が違うだろうね。僕は大人組なんだけれど。読んだことのない人は、読んでごらん。ちょっと社会の動きとは逆のベクトルの話になるけれども、読んだことのある人はもう一回読んでみると鮮明になることがある。
例えばね、「時間とは即ち生活である」と書いてある。時間というのは生活だ。生活とは何か、人間の心の動きだっていうこと。その部分だけの言葉をとらえてもまずいかもしれないけれど、全体を読むとわかる。人間の生活の豊かさというのは時間と密接にかかわっていて、その中での人間の心の動き、エモーショナルな気持ち、そういったところにあるんじゃないか。自分の時間という問題をひとつの大きな軸に据えて考えていかなくてはいけない、と言っている。
僕が今から10年くらい前に旅した時、旅をすると必ずこういう大学ノートに日記を書くんだけれど、日記の冒頭に、朝起きると起床時間を書くの。それから天気を書くのね。その隣にある数字を書いたんだ。どういう数字かっていうとね、例えば、11256、その次の日には11257、そういう数字を書いた。何の数字かわかる人いますか?
「日記を書き始めた日からの数字ですか……」
違うな。石野さん。
「手持ちのお金」
はずれ。じゃ、もうひとり聞いてみようか、平山さん。
「距離」
実は、僕が生まれた日からの日にちなのね。日数。だから、当時30歳くらいだったってことになるね。10000日というのは約27歳、20000日っていうのは約 54歳。30000日が約81歳。人間は生まれると死があるから、平均30000日ぐらいだろうって僕は思う。そういうことを意識しながら、11256、 11257という、日記の中でひとつひとつ書いていく、という数字。そうすると、今日一日というのがリアリティーを帯びてくる。人間としての生の中の貴重な一日だっていうこと。
それを『モモ』では、何万秒とか、何億秒っていうような、秒数でやっている。時間の貯蓄銀行というのが出てきて、時間をどんどんどんどん人間の社会から奪っていくという物語なんです。人間が人間として生きることを可能にする時間がだんだん失われてきたというのが『モモ』の中心課題なんです。
2011.09.06
 204★小さな島に
【武蔵野美術大学近代文明論】
204
★小さな島に

ゴールデンウィークも終わりましたが、楽しかった?いろいろあると思うんですが、おもしろかった人、ちょっと手をあげてみて。なるほど。
池田さん、どんな感じだった?
「田舎にバイトに行きました」
そうか、その後ろの人は?
「海に遊びに‥‥‥」
その後ろ?
「山に」(笑)
あまり楽しくなかったっていう人は ?
ああ、そう、いるね。じゃ、そこそこ、っていう人 ?
そこそこが多いんだね。あとはそういう質問には答えられないって人かな。僕は結構楽しかったのね。今、海と山と田舎という具合に出ましたけれど、僕もね、ちょっと雲隠れ。
僕ぐらいの年になるとね、あたりまえだけれど社会生活をやっている。君らもある意味では社会生活をやっている。僕はわりと周りから、鈴木さんはあまり仕事をしない人だと言われて、事実、ほかの建築家から比べると、あまり仕事をしていないんだけれど、それでも、今自分がやってることは何なんだろうって箇条書きにあげてみると、こんなにやってんだ、というくらいのリストが出てきちゃう。もちろん、一人でやってるわけじゃないけれど、これはちょっとやり過ぎだなっていう、ぞっとするくらいの量がある。
そういった中で、ゴールデンウィークというのは、僕の仕事に関連している人たちもバサッと休むから、僕も休もうと思えば少し膨らめて休める。
本当はベトナムのサイゴンに行きたかったんだけれど、体調の具合もあって、わりと簡単に諦めた。
じゃあ、どこに行っていたかというと、小さな島に行ってボーッとしていた。何があったかというと、海があった。というぐらい何もなかったんだ。
さっき言ったように、僕の社会生活というのは、いろいろ分断されてしまって、忙しくしないようにしていても、ふと気がついてみると忙しいんだよね。この学校に来ることもそういうふうに僕の時間を分断していることにもなる。
さて、ゴールデンウィークに何があったかと言うとね、時間があった。海を眺めてボーッとしたり、ゆっくり散歩をしたりとかね。時間と空間、それに音楽が横たわっていた。
先週のインドの音とはちょっと違うんだよね。今日は後でインドの北、ヒマラヤの麓のネパールの写真を見てもらいます。その時に今日も音楽を流しながら見てもらいますけれど、そういう音楽じゃなくて、ゴールデンウィークの時の音楽というのは、波の音だったりとか、風の音だったり、鳥の音だっり、虫の音だったり、風に吹かれる竹林の音だったり、ああ、久しく聞いていなかったな、っていう自然の音を聴いていた。そうだな、機械的な音といえば、もう、ポンポンポンポンという原始的な釣り船の行くリズミカルな刻む音。僕はすべてから解放されていたんです。