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旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2012.12.04
 独歩☆20121204◎天下の一人旅=独歩
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●「独歩」ビール
岡山空港で僕はいつも「独歩」ビールを二つ買って機内に乗り込む。一缶は機内で、もう一缶はアトリエでしばらく眺めている。今年の岡山旅大学はどうだったかなあ、みなさん満足してくれたかなあ、などと回想しながら、、、

●独歩といえば、国木田独歩である。
「武蔵野の俤は今わずかに入間郡に残れり」と自分は文政年間にできた地図で見たことがある。そしてその地図に入間郡「小手指原久米川は古戦場なり太平記元弘三年五月十一日源平小手指原にて戦うこと一日がうちに三十余たび日暮れは平家三里退きて久米川に陣を取る明れば源氏久米川の陣へ押寄せると載せたるはこのあたりなるべし」と書きこんであるのを読んだことがある。(国木田独歩)
その国木田独歩は岡山県出身ではなく広島出身である。

●なぜ、岡山の地ビールが「独歩」なのか?
その前に、国木田独歩(小説家・詩人・編集者他。1871ー1908)は広島出身としたが、実は千葉県銚子で生まれている。幼年、中国地方に移り、5歳から16歳まで山口、萩、広島、岩国などに住んだ。正岡子規と同様、早逝。病没である。齢36歳。
本題に入ろう。なぜ、岡山の地ビールが「独歩」なのか?
そもそも国木田独歩と岡山の地ビールの結合に無理があるのではないか、という視点をここで持ちたい。

☆夏目漱石(1867年(慶応3年) - 1916年(大正5年))は、本名、金之助(きんのすけ)。江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身。
☆正岡子規(1867年[慶応3年] - 1902年[明治35年])は、本名は常規(つねのり)。幼名は処之助(ところのすけ)で、のちに升(のぼる)と改名。松山市出身。
☆国木田独歩(1871年[明治4年] - 1908年[明治41年])は、幼名は亀吉、のちに哲夫と改名。千葉県銚子生まれ。広島県広島市、山口県育ち。
☆内田百間(1889年[明治22年] - 1971年[昭和46年])は、夏目漱石門下の日本の小説家、随筆家。本名は内田榮造。岡山市出身。

端的に言えば、岡山の地ビールの名称を上記に挙げた文人から選ぶとすれば、「百間」「榮造」がふさわしかったのではないか。「独歩」という言葉の本来の意味を探らなくてはならない。

●天下の一人旅
中国宋代の話。禅僧が編んだ「無門関」。大道無門、千差路有り、この関を透得せば、乾坤に独歩せん。つまり、大道(仏道)に入る門は無く、到るところが道なれば、無門の関を透過して、即ち、天下の一人旅=独歩。
ビール醸造元がドイツ(独)と組んだことが大きいかもしれない。だが要は、「独歩」を規程するものは「ひとり旅の深淵」なのだという「独歩」ビールブロデューサーの創意だったのではなかったか。
国木田独歩の名前の由来もこの辺りにまで遡ることが出来そうだし、「独歩」ビール命名人もひとり旅の愉しみを知り尽くした独立独歩人だと言えそうだ。
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