
神楽坂50景/05
高橋ビルと欅の木
........この原稿はいったいいつ頃書いたのだろうか?
1991年、高橋ビルの新築記念に植えた小さな欅が、近ごろ随分立派になってきた。もうビルの4階にまで届こうとしている。
ビルが建てられる前の敷地には高橋建築事務所(アユミギャラリー)、木造二階建ての材料倉庫(実は内部を改造して僕たち一家が住んでいた)、大工の下小屋跡、そして茶の木荘というアパートと駐車場があった。この何気ない風景の中で、僕はかれこれ12年近くのんきに暮らしていた。(^-^)/
しかしバブルという政治的な開発操作が80年代後半から急激にやってきた。地価の未曾有の暴騰を巻き起こし、高橋家も膨大な相続税対策を抱え込むこととなる。その資金繰りのために、巨額の借金をしてオフィスビルをつくり、その家賃運営で延々と返済を続けるのがこの土地とともに生き延びる高橋家の唯一の手段だった。
この時、アユミギャラリーの存続も危ぶまれたが、いま考えると、残ったのは奇跡的なことだった。そして高橋ビルが竣工した1991年の秋、義父は亡くなってしまった。相続税が重くのしかかる。しばらくしてから、バブルという魔法が破裂した。さらにしばらくして入居していたテナントが倒産、不景気は長引き、ビルの空室状況は続き……、借金返済は滞る……。
アユミギャラリーも鈴木喜一建築計画工房もなんとか自立して気持の良い息をしながら神楽坂で生きている。しかし、あまりにも小さな舟である。高橋ビルという大河が揺らいだら、一挙にその波にさらわれていく。
僕は若い頃、芝居をやっていたのだが(最近も懲りずにやっているが)、ゴーリキーの『どん底』でブブノーフという虚無的な男を演じたことがあった。その時、何回も演出家に指導されて練習していたセリフがあった。
「人間はみんな生きているんだ……、ちょうど木片(こっぱ)が川を流れているようにな……、人は家を建ててるつもりなんだが……、木片はどんどん流れて行っちまうのさ……」
この言葉を思い出しながら、自分の無力さを感じているわけでも、諦観の嘆息をついているわけでもない。大きな気持で大きな風景を見ようとしているのである。
今日は神楽坂のお祭りの日である。遠くから太鼓の音が聴こえている。夕暮れになって秋風が心地良く吹いている。欅の木もゆさゆさと揺れている。
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