


東海林玉翠と田中芳の二人展
301●《最終講義》
始めます。学生ではない、生デの2年生ではない人、もう卒業した人を含めてどのくらいの人が来ているのかな。手をあげてみて。なるほど。
今日はいろんな人が来ているみたいなので、そのあたりも睨んで話をしたいと、そのくらいの余裕があればいいなと思っているんだけれど、まあ、どうなるか。
みなさんにこういう簡単な白いメモ用紙を渡しますので、氏名と、よかったら住所を書いて、これを出席代わりにします。実はこういう秘密兵器があります。[製本工房]といって、みなさんに書いてもらったものをこう束ねてここに挟むとすぐ一冊の本になってしまう。この本を僕は大切にしたいと思いますので、講義が終わったら今日の感想でもいいし、生デの学生は一年間のこの授業への簡単なメッセージを書いてくれたらうれしい。
最後なので、気の効いた話をしようと一週間考えていたんですけれど、ずっと日常の仕事がかたわらにあって、昨夜も夜9時過ぎまでそのことに体と頭を奪われいて、10時頃になってそろそろ講義の準備をやらねばと思って、写真をどうしようかなとか。最初、インドの総集編を見てもらおうと思ったんですが、ベトナムの写真をもう一度見たいという人が何人かいたのと、まだ見ていない人がいるのでアンコールにお応えして、ベトナムの写真になりました。
夜も遅く、アトリエでベトナムの写真を整理していたら、友人が遊びに来て、わりといい雑談になって、ここで話せるような体勢になったかなと思って、若干そのメモなども持ってここに来ました。その友人が今日ここに来ているから、紹介します。
「十川さん、ちょっと立ってくれますか。顔だけでいいよ」
「十川です」
「どうもありがとう」
十川正一さん。僕の旅の友人で、みなさん覚えているかどうかわかんないけれど、この授業で一回だけ彼の話をしたことがある。ネパールに行った直後の話で、カトマンズでカジノをやって、二人でポーカーをやって損した話をしたんですよね。その時のカードになぞらえて、人生はトランプのカードのように決まっているとか、決まっていないとか、いかさまもあるし、トリックもあるとか。そんなわけのわからない話をしたことがありますね、まあ、その時の相棒です。
302●グアテマラスケッチ紀行
グアテマラスケッチ紀行というこのプリント、ちょっと見てください。まだスケジュールが未定なんですけれど、来年の春か夏、グアテマラに行くぞ、っていうことなんです。僕は行くぞ、と力強く言い放って、行くことになる。それで、今、紹介した十川さんが、リーダーというか、コーディネートをやるわけなんです。
この講義で、いろんな話をしたんですが、僕の真意は、こういった学校の教室で話をしていてもあまり意味がないなあということがあって、とにかく君らを未知の世界へ放り出そう、《井戸のカエル》にならないように、いろんな世界の空気、異国の風を受けながら自分が何なのかをちゃんと見てほしいということが根底にあった。地球上で何が起こっているか、自分の目で見てほしい。卒業生の中でも、いまだにたくましく放浪を続けている人がいたり、自分のやりたいことがはっきりしてきて個性的に生きている人もいます。この講義は今日、終わりますけれど、これで単位がとれて近代文明論を卒業したということでなくて、近代文明論はこれが導入であって、これから文明の問題をどのように自分で考え、どう実践でとらえていくかが、みなさんのテーマになっていくだろうということなんです。
グアテマラスケッチ紀行の話でしたね。場所を中米のグアテマラにしてスケッチでもしながら、空気の入れ替えをしに行ってみようかというツアーの話で、もちろん生活デザイン学科の人が対象というのではなく、いろんな人が参加してくると思いますが、もしその気になったら、君らも一緒にね、僕と十川さんですから、まともなツアーなわけはないんで、ハチャメチャな感じになってくると思いますが、タイミングがよければ参加してみてください。
303●
103●白いバナキュラーな家々
グアテマラという場所をよく知らなかったんだけれど、最近、地球儀をよく見るようになって、それでグアテマラはメキシコの下なんですね、隣にはベリーズとかエルサルバドルとかコスタリカとかホンジュラスという国があるみたい。太平洋とカリブ海に面していて、ユカタン半島というメキシコの付け根のところにある国です。
君らの先輩の増保さん、でしたね、「先生、いいところだよ」と、その写真を見せてもらったことがあるんですが、道行く人の衣装はカラフルで、陽光はカラッとして明るそう、白いバナキュラー(風土的な、地方の、無名の)な家々、人間がとても良い感じ、それで刺激を受けて、ほんとうは夏行きたかったんだけれど、猛烈に暑いっていうんで、来春になるかな。
304●神様が何かやってくれるから
昨夜、十川さんと話をしたメモがあったんだけど、これを唐突に言ってもなあ……(笑)。今日は特別にメモを持って来てね、こんなことをしゃべればいいかなあって思っていたんだけれど、なんと書いてあるかそのまま言ってみよう。
・神様が何かやってくれるから
・お金のことでケンカしないほうがいい
・人生はいろいろやったほうがおもしろい
・人生の目的はいろんなことがわかること
・人生は二日だけだから、歌って踊ってそれでよい
305●《心のヴィザ》
なかなかいいメモでしょう。シャングリラ的発想の言葉と言ったらいいか。このキーワードを使って何か話をしようと思っていたんですが、もう言ってしまったから、これはこれでおしまい、と。
(沈黙)
今日ちょっと緊張しているんだなあ。いつも話しているのに途切れている。おかしいね。海野君、じゃあちょっと質問して。
「あの、先生が旅に行かれる時、何かインスパイアされて、なんかそういうアグレッシブな状態になって、いわゆるプラトニックな行動が自分の中でわきおこってくるのですか」
うーん、難しいなあ。ますます困ってしまった。質問からズレていると思いますが、旅の契機というのは、まあ直感です。無意識のうちにね、いろんな情報が入ってきて旅先を決めるんだろうけれど、今年は年末にはたぶん韓国に行くつもり。これは数えてみると今年で連続4年目になって、年末、暮れも押し迫っててブルートレインの『あさかぜ』という寝台特急に乗って、下関、プサン港という航路をたどっている。この旅には、動機といえるようなものはないんだけれど、ちょっとした、とてもささやかななものですが、僕は《心のヴィザ》というものを持っていてね、年に一度はプライベートで、たった一人で国境を越えることを自分自身に義務づけている。
どうしても日常にかまけていて、まあ一生懸命に日常の仕事をしていて、それで暮れも押し迫ってしまうんですね。今年はネパールとベトナムへ行ったんだけれど、プライベートではなかったので、隣の国に避難という形でヴィザを取りに行く。今年もたぶん、慶尚道あたりの港町をうろうろしてスケッチしながらやっているだろうと思います。
韓国も4年目になるとだいたいわかってきて、とても味のある、奥深いところなんです。港町を中心に歩いて、そこで市場に行ったり、お刺し身を食べたり、今年はお酒はそんなに飲めそうにないんだけれど、マッコリと言ったかな、韓国の焼酎みたいなお酒を飲みながら一人でやっているんだな。そんなことで自分はヴィザが切れた、という感覚を大切にしている。そんなヴィザを取りに行く。
そんな話を冗談のように言うので、「鈴木さんは日本人じゃなかったんですか」ってよく言われるんですよ。そうすると僕は、偽造の中国人の上海生まれの証明書を見せて「中国人です。リンムーです」って言うんですけど。(笑)
306●船で釜山に
ヴィザ切れのために行く。自分としては旅先はどこでもいい。台湾でもフィリピンでもいい。僕はどこにでもシャングリラを見つけられそうな気がする。人が住んでいるところならどこでも大丈夫だと思っている。ちゃんと生きてる人がいるんだ、という確信みたいなものがあるから。
でも、年の暮れが迫って「どこでもいいから安いチケットを頼む」と言ってもあんまりない。船で釜山に行くのが一番てっとり早い。飛行機でソウルというのもあるんだけれど、船の方が好きなんだな。
シャングリラへの旅3でベトナムをまとめたんですけども、シャングリラの4は韓国の慶尚道あたりを中心に動きながらこれまでの韓国旅ストーリーをまとめたいと思っています。
……たまった韓国の旅日記を読み返している。
韓国南部の港町をここ4年ほど歩き回っている。冬ばかり……。すっかりなじんだ、とまではいかないけれど、たどるたびに親しくなる道のようでもある。 訪れた主なところをあげれば、釜山(BUSAN)、忠武(CHUNGMU)、三千浦(SAMCHEONPO)、 浦項(POHAN)、麗水(YOSU)、といったった多島海沿いの港町が多い。地図によれば、慶尚道および全羅南道といった地域である。移動手段のメインはバスだが、快速水中翼船エンジェル号もよく使った。これで閑麗水道と呼ばれている美しい海岸線や無数の島々を見ながら、この海には忘れてはならない侵略の歴史の数々も深く沈められているのだなと思いつつ、今は何事もなかったように穏やかな海上を流れるように走っていく。
木浦(MOKPO)から韓国西南端の離島、黄海に浮かぶ紅島(HONDO)という奇岩の島に行ったこともあった。草青色の海が荒れに荒れてその小さな島に元旦から3日間、しっかりとじ込められたことがある。外は厳寒な上、海のほかには見るべきところもないので、日がな一日、民宿のオンドルパンに敷いた温かい布団にもぐって、下関の古本屋で買った本を読みながら、時々、ウトウトと眠っていた。というような情景は、ぼくの旅の中でよくあるシーンの一コマなのである。 韓国への旅は、夕暮れ時の関釜フェリーに乗るまでの余剰時間を使って、下関の町をゆっくり散歩することから始めている。町を歩いていて必ず行ってしまう場所は、竹崎町3丁目の長門市場、リュックを背負ったまま何度も行ったり来たりしている。その先の古書館専門店『ころんぶす』という古本屋、ここでは長居をして旅の中で読む一冊の本を買う。ぐるっと町を回って『ベレー』という渋い喫茶店に立ち寄りコーヒーを飲む。年の暮れも押し迫った下関には、なぜかいつも冷たい雨がかすかに降っている。
韓国で描いていたスケッチの話から始めよう。
今年の正月は例外に暖かくて動きやすかったのだが、韓国の冬はいつも厳しかった。 どんな状況であれ、100%純粋に現場で仕上げるぼくのスケッチは、この寒さのために置いた色が一瞬のうちに画面上で凍ってしまうこともあったし、水を絵の具と混ぜているとジャリジャリとシャーベットのようになってしまうこともあった。それでも構わずに手の動くかぎり全速力で描いているのだが、最中はあれだけ激しく動いていた手が、描き終えたと思ったと同時に全く動かなくなったこともあった。そんな自然の技、無意識的なものが現れては描いていた、つまり風景がぼくの中を通り過ぎて描いていたとしか言いようのないスケッチが日記と同じようにずいぶんたまってしまった。
見知らぬ土地を歩いて、そのエモーショナルなリズムを感じながら、気軽にスケッチをする。これがぼくの旅であるはずなのだが、韓国の冬の旅は、スケッチ同様、そう軽快にはいかない。軽やかな清風にのって空高い軌道を飛ぶわけにもいかない。シャングリラは、限りなく大地に接近することにより、時折、偶然のように見いだすことのできるものかもしれない。
寝台特急『あさかぜ』、下関、対馬海峡、そして朝鮮海峡をゆっくり越えて釜山港にたどりつく頃には、すっかり東京の時計を忘却、現実の埓外に入り、旅の気分の充実があるが、そこから見ることになる隣の国の港町の風景は、しぶとくて、したたかで、やさしくて、パワフルで、アノニマスで、予断を許さず厳しいのである。
土と魚の匂いのする迷路のようなバザールを歩き回り、虚飾のないたくましい人間の生活風景を見ていると、どうもその中にシャングリラがひそんでいる気配を感じる。スケッチを紹介しながら、そのアース・ビートの色調をゆっくりさかのぼってみよう。
ヴィザ切れのために行く。自分としては旅先はどこでもいい。台湾でもフィリピンでもいい。僕はどこにでもシャングリラを見つけられそうな気がする。人が住んでいるところならどこでも大丈夫だと思っている。ちゃんと生きてる人がいるんだ、という確信みたいなものがあるから。
でも、年の暮れが迫って「どこでもいいから安いチケットを頼む」と言ってもあんまりない。船で釜山に行くのが一番てっとり早い。飛行機でソウルというのもあるんだけれど、船の方が好きなんだな。
シャングリラへの旅3でベトナムをまとめたんですけども、シャングリラの4は韓国の慶尚道あたりを中心に動きながらこれまでの韓国旅ストーリーをまとめたいと思っています。
……たまった韓国の旅日記を読み返している。
韓国南部の港町をここ4年ほど歩き回っている。冬ばかり……。すっかりなじんだ、とまではいかないけれど、たどるたびに親しくなる道のようでもある。 訪れた主なところをあげれば、釜山(BUSAN)、忠武(CHUNGMU)、三千浦(SAMCHEONPO)、 浦項(POHAN)、麗水(YOSU)、といったった多島海沿いの港町が多い。地図によれば、慶尚道および全羅南道といった地域である。移動手段のメインはバスだが、快速水中翼船エンジェル号もよく使った。これで閑麗水道と呼ばれている美しい海岸線や無数の島々を見ながら、この海には忘れてはならない侵略の歴史の数々も深く沈められているのだなと思いつつ、今は何事もなかったように穏やかな海上を流れるように走っていく。
木浦(MOKPO)から韓国西南端の離島、黄海に浮かぶ紅島(HONDO)という奇岩の島に行ったこともあった。草青色の海が荒れに荒れてその小さな島に元旦から3日間、しっかりとじ込められたことがある。外は厳寒な上、海のほかには見るべきところもないので、日がな一日、民宿のオンドルパンに敷いた温かい布団にもぐって、下関の古本屋で買った本を読みながら、時々、ウトウトと眠っていた。というような情景は、ぼくの旅の中でよくあるシーンの一コマなのである。 韓国への旅は、夕暮れ時の関釜フェリーに乗るまでの余剰時間を使って、下関の町をゆっくり散歩することから始めている。町を歩いていて必ず行ってしまう場所は、竹崎町3丁目の長門市場、リュックを背負ったまま何度も行ったり来たりしている。その先の古書館専門店『ころんぶす』という古本屋、ここでは長居をして旅の中で読む一冊の本を買う。ぐるっと町を回って『ベレー』という渋い喫茶店に立ち寄りコーヒーを飲む。年の暮れも押し迫った下関には、なぜかいつも冷たい雨がかすかに降っている。
韓国で描いていたスケッチの話から始めよう。
今年の正月は例外に暖かくて動きやすかったのだが、韓国の冬はいつも厳しかった。 どんな状況であれ、100%純粋に現場で仕上げるぼくのスケッチは、この寒さのために置いた色が一瞬のうちに画面上で凍ってしまうこともあったし、水を絵の具と混ぜているとジャリジャリとシャーベットのようになってしまうこともあった。それでも構わずに手の動くかぎり全速力で描いているのだが、最中はあれだけ激しく動いていた手が、描き終えたと思ったと同時に全く動かなくなったこともあった。そんな自然の技、無意識的なものが現れては描いていた、つまり風景がぼくの中を通り過ぎて描いていたとしか言いようのないスケッチが日記と同じようにずいぶんたまってしまった。
見知らぬ土地を歩いて、そのエモーショナルなリズムを感じながら、気軽にスケッチをする。これがぼくの旅であるはずなのだが、韓国の冬の旅は、スケッチ同様、そう軽快にはいかない。軽やかな清風にのって空高い軌道を飛ぶわけにもいかない。シャングリラは、限りなく大地に接近することにより、時折、偶然のように見いだすことのできるものかもしれない。
寝台特急『あさかぜ』、下関、対馬海峡、そして朝鮮海峡をゆっくり越えて釜山港にたどりつく頃には、すっかり東京の時計を忘却、現実の埓外に入り、旅の気分の充実があるが、そこから見ることになる隣の国の港町の風景は、しぶとくて、したたかで、やさしくて、パワフルで、アノニマスで、予断を許さず厳しいのである。
土と魚の匂いのする迷路のようなバザールを歩き回り、虚飾のないたくましい人間の生活風景を見ていると、どうもその中にシャングリラがひそんでいる気配を感じる。スケッチを紹介しながら、そのアース・ビートの色調をゆっくりさかのぼってみよう。
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