
大杉山●
木の葉が一つ落ちて来ても、花びらが一つ飛んできても、すぐにそれを拾っていろんな連想に耽りながら、しばらくはそれをおもちゃにしているのだった。春なぞにはよく、桜の花びらがどこからとも知れず飛んで来た。窓から見えるあたりには桜の木は一本もなかった。窓に沿うて並んでいる幾本かの青桐の若木と、「雀の木」と呼んでいたいつも無数の雀が群がっては囀っている何かの木が一本向うに見えるほかには、草一本生えていなかった。されば、あの高い赤い煉瓦の塀のそとの、どこからか飛んで来たとしか思えないこの一片の桜の花は、ただでさえ感傷的になっている囚人の心に、どれほどのうるおいを注ぎこんだか知れない。
喜一山●
やっばり、高い窓だったんですね。それもバラ窓のようなものではなく、鉄格子の小さな換気口のような窓で外気とも接続していた。たがらトンボも木の葉も、桜の花びらも舞い落ちてきた。。。
堯 山●
そうなんですよ。大杉山は、何でも懐かしかった。ことに世間のものは懐かしい。看守の官舎の子供の泣声、小学生が道を歩きながらの合唱の声。春秋のお祭時の笛や太鼓の音。時とすると冬の夜の「鍋焼うどん」の呼び声等、みんな懐かしかった。。。
喜一山●チャルメラの「鍋焼うどん」ですか?
平良山●
江戸時代はね、夜泣き蕎麦屋ばかりだった。明治になったら鍋焼きうどん屋に変わったんだよ。その後、大正時代が変わり目だったかな、しなそばになる。
喜一山●
へぇ~。そうだったんですか。
堯 山●
売り声にあわせて江戸の暮らしを語ったらしいですね。
平良山●
その売り声が、詞とメロディにのっかって、たまらなくよかったんだよ。
それはともかく、話を戻すとね。大杉山は、生命あるもの、少しでも、自分の生命と交感する何ものかを持っているものは、堪らなく懐かしかったんでしょうね。。。
大杉栄獄中記★01
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