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旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2011.08.10
 追悼●静岡という地域に密着して仕事をする
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山崎工務店とその仲間たち

[再録]
「住宅建築」1998年7月号☆シリーズ●まちを見る 
文=鈴木喜一 写真=畑 亮

まちを見る時、特定したある人物を媒体にして透かして見たらどうなっているのか、ということを考えている。作品からまちを探るのではなく、人から探っていく。しかも建築家に限定せずにである。今回は静岡市で活躍する山崎晏男さんの仕事を見ながら、彼を取り巻く一つの渦のようなものを紹介していきたいと思う。

(prologue)

まず山崎晏男さんと私との関係について触れておく。
山崎晏男さんは私にとって静岡工業高校の大先輩であるが、気のおけない友人のような気がしている仕事仲間である。彼が静岡で山崎工務店の代表として元気に活躍していると思うとなぜかうれしい。
個人的な話になるが、山崎さんの奥さんの実家は「魚芳」という魚屋である。私の実家のすぐ近くで、私は上京するまでの23年間、この店のおいしい魚を食べて育った。
そんなこんなで(ということではないと思うが)、毎年5月末日の土曜日になると、必ず「横寺の家」(現在の私の自宅で新宿区横寺町にある)に、その「魚芳」の魚を桁外れに大量に持ってきてくれる。当然、大量の客が集まり、何はさておき、魚を囲んで楽しい横寺の宴となる。もう一年が経ったのだと思う夜である。

山崎さんと私は仕事仲間と言ったが、実はそれほど仕事をしていない。だから、設計者と施工者という癒着関係もきれいさっぱりない。彼は仕事があってもなくても、いつも軽々と5月には魚をたくさん持ってやってきて、気持ちよく我が家で酔っ払い、時には子供のように安らかに眠っていくのである。そういうあっけらかんとした気性の人物である。
彼の中に知らず知らず備わっている徳があるとすれば、人の出会いやつながりを素直に大事にしているということだろう。だから彼の周りにはたくさんの人間が集まり、たくさんの仕事が集まってくる。
その山崎晏男さんの略歴を簡単にまとめておこう。彼は昭和9年2月8日、静岡市安倍町で大工棟梁の山崎善太郎さん(明治39年~平成7年)の長男として生まれた。昭和27年、静岡工業高校建築科を卒業と同時に家業の大工職に従事する。その後、熱心に大工見習をしていたかといえば、どうもそうばかりとはいえない。地元の劇団に所属したことのある演劇青年で、放浪癖も少なからずあったというから、その辺りは私にも若干似ている。
昭和42年、山崎大工は山崎工務店となり、設計施工業に従事する。平成2年には山崎工務店を株式会社組織に組みかえる。その時、山崎晏男さんは代表取締役に就任して現在に至る、というのがこれまでの経緯である。
山崎さんとの出会いは記憶ちがいでなければ25年前の静岡市である。私の修業先であった企業組合針谷建築事務所時代にさかのぼる。しかし、実際に一緒に仕事をしたのは私が上京してからしばらく経った1982年である。そして1984年に興津邸という住宅を小杉茂夫さん(建築事務所コオプラン)と協同で設計をしたことから、山崎さんとのつながりが深いものになったと思っている。
それでは山崎晏男さんの話を聞いていただきたい。少し日本酒が入っている。

談話
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