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旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
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2011.04.05
 「住む。」4●一水寮の話に戻そう
20110405-3.jpg

一水寮の話に戻そう。
一水寮はその後、昭和30年代の初期に隣家からのもらい火で、屋根、小屋裏部分をかなり焼いたが、当時、高橋建築事務所で働いていた住み込みの大工さんたちが中心になって、すぐさま復旧工事にあたったそうである。天井裏にもぐってみると、その生々しい焼け跡を確認することができる。今回の改修工事では、それが屋根部分だけでなく二階の柱、壁、床組、さらに一階の柱や壁にまで及んでいたことが確認された。「こんなに焼けていても、壊すことなく復旧したんだなあ」という感慨を強く持つ焼跡だった。
時は流れて昭和43年(1968)、高橋建築事務所は徐々に閉業に向い、一水寮は大工さんの宿舎から一般に貸し出すアパートとして転換していく。
平成2年(1990)、矢来町114の高橋ビルディングの計画(アユミギャラリー奥のビル)に伴い、アパートを縮小し、先に紹介したように、僕たち一家が住むことになった。平成7年(1995)、紆余曲折、僕たちが同じ番地の「横寺の家」に引っ越してからは、当工房の若いスタッフやインターン、武蔵美の教え子たち、芸術家や編集者がひそやかに暮らす場所になり、平成11年(1999)からは大広間が神楽坂建築塾の宿舎となって現在に至っている。
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