旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2006.02.22
 空想と現実☆青柳龍太のACT2
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RA●手応えの無いまま、それでも肥大してゆく自我の妄想がなんらかのいびつな社会の歪みを形成しているような気がしています。
KS●このような場合、自己の空想力と行動力は大切ですね。現実との接点を模索するために……。
いびつな社会の中で、あなたは清涼な空気を送っているように思えるのですが……。
RA●ははははは。

空想と現実☆旅する心

RA●僕は同時に空想には信じるべき理想と呼びうるべきものがあると思っています。ただ、今の社会の価値観で、理想を語ることはファンタジーだと嘲笑される場合が多いのも事実だという気がしています。それにもまして、そんな事は不可能だという思い込みが、理想を理想のまま終わらせる要因になっている。例えば、ここ何年かの間に、海の向こうで実際に起こった戦争を本気で回避出来るのだと考えた日本人はいったい何人いたのだろう。僕もそうは思えなかった。
KS●現実的にあるいは経済的に、どのような具体的な対策があったならば、戦争が回避出来るのかという答えがなかったし、さらに言えば、実際にそれが可能か、不可能か検証することが重要だったにもかかわらず、できていなかったですよね。僕自身をふりかえって、そう言うのですが……。
RA●もちろん不可能な事は多くあると思います。でもお互いが人間である以上、その人間同士で最低限、これは同意しましょうという接点は見いだせるのではないかと。
KS●そうですよ。
RA●今回の個展で僕があつかったのは、でもそんな大それた事ではありません。妄想でも理想でもないつもりです。ただ、空想と現実です。
KS●空想と現実を繋げるものは何ですか?
RA●その架け橋は、行為であり、また、関係性における他者なのだという事を表現したかった。あなたは石を落とす、という僕の空想を、見に来てくださった方にぶつけて、見に来てくださった方がそれを読んで、ああ、この人は空想を投げかけてきた、つまりあなたと呼ばれている私はこれを空想で終わらせるか、あるいは現実に変えるか、あるいはニヤリと笑うか、好きな選択をしてくれれば面白いと思っていました。
KS●石を落とすというのは手段で、空を見上げるとか、笑いかけるという行為でもよかったんですよね。空想は現実に変えられる、生きている限り、これは人間の奇跡だと青柳さんは思っているんですよね。
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