旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
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2005.04.01
 明治の西洋館II
meijinoseiyoukan2.jpg


写真/さとう つねお
文/鈴木喜一・佐奈芳勇
毎日新聞社刊/1991.5.15/119頁
本体価格2718円 ISBN4-620-60266-3
残部なし

【本書抄】
信州松本の冬は、先に旅した津軽の弘前よりも寒いかもしれない。雪は降ってはいないが肌を射す空気の冷たさ。なにはともあれ、軽装備の私は、それでも手袋をポケットから取り出し、マフラーを整える。まず、駅から女鳥羽川に向かう。町には海鼠壁の土蔵が点在し、かつての落ち着いた城下町の記憶がかすかにとどめられている。開智橋を見て右に折れ、川沿いに千歳橋までゆっくりと歩いて寒気の中で立ち止まる。
このあたりが中央2丁目(南深志町)、明治9年、松本の大工棟梁立石清重が、当時の人々の熱い期待を背負って開智学校を建てたといわれる場所である。今、その面影は何もない。松本城大手門石垣の石材を用いて造った千歳橋(明治9年)もない。女鳥羽川の水量も少なく、心なしか泳ぐアヒルも寂しげだ。私は、大名通りを抜け、松本城を見ながら移築復原先の開智学校に急ぐ。
旧開智学校は松本城の北、現開智小学校に隣接して移築されている。信州大学附属病院跡地であった。木造2階建の日本瓦葺、壁はしっくい塗り、窓の扉は色鮮やかなペンキ塗、欄間には舶来の色ガラスが用いられている。いうまでもなく、明治初期の日本人棟梁たちが夢中になって創意工夫し、貪婪な気迫とバイタイリティーをもって各地に建てていった西洋館学校の代表的な存在である。
白い息を吐きながら久し振りにじっと仰ぎ見る八角太鼓楼、東西南北の風見を兼ねた避雷針、唐破風つきバルコニーにはいくつもの雲がおおらかに漂う。校名を掲げるキューピットの童子、欄間や扉の濃密な竜の木彫など、この時期の学校建築の特徴を備えた貫禄のファサードである。見るほどにやっぱり面白い。ここには棟梁の迷いや疲れが見られない。和をもって西洋に向かう潔い意志と自信がある。寺小屋から近代的な学校に移行する激しい時代のショックと熱狂が明るく奇妙に噴出している。この学校が春の花々に飾られて開校したのは、今から 115年前、明治9年4月22日のことであった。
教育資料館となっている内部の展示では、学校建設にかかわる資料はむろん、明治政府の教育内容や当時の授業風景が、写真、道具、書籍、絵などによって詳細に紹介されている。興味深く1階から2階へと見学しているうちにすっかり体は冷えきってしまった。とにかく外に出て、暖かい缶コーヒーを流し込んで一息入れる。立ち去りがたく庭のベンチに座っていると、大型カメラを持った男が無表情にたばこを吸いながら、アングルを見定めるように行ったり来たりして、きびしい目で観察している。
しばらくして私も思い切ってスケッチブックと鉛筆を取り出す。冬のスケッチは描くというより闘いだが、無心に描いていると遠い時代の声が静かに聞こえてくる。


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