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旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2010.01.24
 回り道の午後☆20100124
●『フランク・ロイド・ライトの現代建築講義』
204ページまで読み進めて、僕はもういちど、訳者のあとがきを読みたくなった。
4・翻訳について
自慢ではあるが、訳者は通常は翻訳不可能とまで言われる難解な書物もかなり手がけており、たいがいの本はさしたる苦労もせずに訳せる。だが本書はこのぼくですらかなり手こずった。


再読すると、山形浩生とはどういう人物なのか、興味がわく。
YAMAGATA Hiroo Official Japanese Page

●『モンの悲劇』
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●国分寺内藤の家
インターホンが鳴ったので、階下に降りて扉を開けると、Jさん夫妻がにこやかな笑顔で待っていてくれた。歩道でしばらく立ち話。
「お久しぶりです。個展をじっくり拝見させていただきました」
「一年ほど会っていませんかね。来てくれてありがとうございます。住み心地はいかがですか?」
「とてもいいですよ。外壁の板も、そして内部も、だいぶ馴染んできて昭和初期らしくなってきました」
「そうですか。それはよかった。また寄らせてくださいね」
しばらく四方山話をしてから、別れ際、僕が「またキャッチボールをしましょうよ」というと、Jさんは、くすっと笑い、奥さんが「打ち合わせで通った頃が懐かしいわ。それでは神楽坂を散歩しながら帰ります」といって二人で仲良く人混みに消えて行った。
●国分寺内藤の家
昭和初期の民家を、いま新築する

2005年の冬のある日、国分寺市に住むJさん夫妻が神楽坂のアトリエの扉をトントンと叩いてくれた。たまたま居合わせた私は、当工房の作例を見ていただきながら、なごやかに面談し「その土地でしたら、S邸やF邸にかなり近いですね。訪ねてみたらどうですか」と話した記憶が残っている。
S邸は僕の恩師の家で、1985年と1990年にかなり大きな増改築をさせていただき、かつて本誌に紹介した住宅だ。F邸は、お世話になっている建築編集者の家で、この住まいには何回か遊びに行ったことがある。
すっかりその面談を忘れていた秋も深まった頃、Jさん夫妻が再びアトリエに来てくれた。その時はすでに、彼らの住まいのイメージは明確になっていた。半年以上をかけて
具体的に自分たちの住まいをつくりこんでいたのだ。要望の主たる内容を記すると、
●戦前町家の和風木造住宅のイメージで新築したい。
●台東区下谷にあった鍵屋(江戸東京たてもの園に移築されている)を見てほしい。
●基礎のしっかりした家。
●居心地がよく、衣服に例えれば洗いざらした木綿のような肌合いの家。
●畳中心の暮らしで、シンプルで簡素なプランでいきたい。
●30年~40年後に味が出てくる家。
●すべて引戸にして、風通しのよい家。
そして、これらの要望をまとめるような外観スケッチ(当時、美大志望の息子さんの手によるもの)がすでに出来上がっていた。
以後、「国分寺の家」は、この要望に基づいて設計作業と積算作業が2006年から翌年2月まで地道に進められた。工事は、けんちく工房邑のもとで2007年3月に着工し、2008年4月落成という道のりを描くことになった。
この間の、国分寺の時間をふりかえると、辛い想いが脳裡をよぎる。私事になるが、私にとって息子の事故死という悲しい出来事が挟まっているからである。その渦中で、失意している心もとない現場指揮者を、絶えず丁寧に見護り、あたたかく励ましてくれたJさん夫妻に改めて感謝したい気持ちでいっぱいである。
そして、手刻みでしっかりした木の家を丁寧につくってくれた山本工務店の大工さん、けんちく工房邑のみなさん、当工房の魚谷純子さんはじめ、多くの人たちに助けられた仕事となった。S先生、Fさんにもずいぶん気を揉ませたことだろう。ともかく無事に建ち上がった「国分寺の家」。こうしてこの家が新しく歩き始めたことは「渦中の人」の陰ながらの応援もあったと思っている。(鈴木喜一)
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