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旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2010.01.18
 神楽坂の活路
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神楽坂●まちと建築の再生
「神楽坂らしさ」ということをみんなよく言われますよね。それはどこにあるかというと、やはり無数にあるいろんな坂道と迷路のような細い路地なんです。神楽坂のまちは第二次世界大戦で壊滅的に破壊されていますから、いまある建物や風情も昭和20年以降のものなんです。だから最も古い建物でも60年をようやく越えたところですね。このアユミギャラリーも昭和22年頃の建物なんですよ。
ただね、坂道と地割は江戸からずっと継承されてきた。坂と路地を活かしたまちづくり、家づくりを地道にコツコツと戦後やってきた。だから、どこか江戸・明治・大正の匂いもするんですよね。
昭和20年から昭和30年といえば、経済的にもたいへんだったし、建築の材料も乏しかった時代です。しかし、建物の構造から細部まで職人さんたちが丁寧につくった痕跡が見られます。まちや建築に対する考え方が建主ともども真摯でしたね。高度成長期以降は経済合理主義が優先して、まちも建物もどこか心地よさというものから徐々に離れていく。それは歴然としていますね。いま神楽坂も新しい時代に入っていくわけですが、こうした築50~60年の古い建物、それに路地・坂道を確実にディフェンスしていくことが、このまちの魅力を未来につなげていくことになるんだと思いますよ。
といっても、変わるまちの様相が日々刻々とありますね。神楽坂というまちに不似合いな高層ビルの新築がいまだに相次いで出現しようとしている。そこに息づいてきた歴史、まちの記憶や文脈を根こそぎさらっていくような心ない開発が目につきますね。その中で、消えていった最近の建物の一部をあげれば、珈琲店パウワウ、本山菓子店、佃煮の有明家、東京理科大学維持会館、夏目写真館、洋菓子の亀十、洋食の田原屋、菊岡三味線店、神楽坂駅前の石材屋、橘田耳鼻咽喉医院、うなぎ専門店の大和田、乾物の伊勢屋と指折り数えて枚挙にいとまがない。さまざまな事情があるにせよ、神楽坂が底知れぬ魅力を秘めた場所であり続けるためには、神楽坂に生き続けてきたこれらの建物を、もっとやわらかく未来につなげるべきだったんです。だから、せめていまある戦後の古い建物たちをどう残して活かしていくか、そのためにみんなで知恵を絞らなくてはいけないんですよ。僕はそこに重要な神楽坂の活路があると思っているんです。


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