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旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2009.09.21
 武蔵野美術大学近代文明論☆02
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1983年のサダルストリート(Calcutta/INDIA)

●静寂感とカオスと現実
そのタゴールはどういう人かというと、裕福な家に生まれたんだけれも、破天荒な人で、学校教育っていうのに関しては、全然メチャクチャっていうか、小学校も中学校も卒業していない。お金があったからイギリスに留学して二つの大学に行ったらしいんだけど、これも卒業していない。学校でこんなふうに授業することが大嫌いだった。
ところが、東洋では初めてノーベル文学賞をもらっている人でもあるんですね。タゴールにやがて自分の子供ができて、その子供の教育という問題について考えなければならない時期に突き当る。彼はどうしたのかっていうと、自分の子供を中心に数人の子供を集めて、森の学校っていうのを開いた。森の中で自分の自然観や宇宙観……、いろんなことを含め子供たちに直接教えていった。
彼の詩がまたいい。自然を深く愛している。タゴールの詩はいくつもいいのがあるけれど、その中からいくつかの短詩を紹介してみます。例えば

・あなたはほほえんでさりげないことについて語った。
 そうして払はこのためにこそ長い間待っていたのであることを感じた。
・水に住む魚は黙し、地上の獣はかしましく、空の小鳥は歌う。
 しかし、人間は彼の中に、海の沈黙と地のざわめきと空の音楽とを持っている。
・わたしは自分自身を笑う。
 すると自我という重荷がそのことで軽くなる。
・単独でいるものは無にすぎない。
 彼に実在を与えているものは他者である。
・瞬間をおそれるな-かく永遠なるものの声は歌う。
 汝もし太陽を見失うとて涙するならば、汝はまた星をも見失うであろう。
・ある者たちは知識を求め、他の者たちは富を求める。
 わたしが欲するのはおんみの実在だけだ、わたしに歌がうたえるように。

 という具合に、まだいくつもある。タゴールという人は詩人なんだけれども、実は詩だけでなくて、絵も描いた。さらに音楽もつくった。小説も書いた。結局ね、何でもできるんだよね、一つのことがきちんとできると、何でもできる。
タゴールの詩というのは、非常に自然のリズムっていうか心の響き具合がいい。しかも静寂感がある。ところが現実のカルカッタという場所はそうでもない。先週の授業で、カオスっていうことを言ったけれども、カルカッタほどカオスという言葉が似合う街というか、街路はない。僕が行ったのはちょうど今頃、3月から4月にかけて約2カ月、かなり暑かった。当然30度をはるかに越えていた。そういう暑さだから、夕方になると人が、わーっとどこからともなく出てくる。街路が人間の河になる。人間はみんな土ぼこり。顔も衣装もね。とにかく、こことは全然違うよ。友人たちがカルカッタからは入るのはやめろと言ったけれども、ああこれだな、ってわかった。
小さなリュックを抱えてバンコクから入ったんだ。カルカッタ郊外のダムダム空港。空港を降りて、外に放り出された。僕はいつもリュックとサイドバッグを持っているんですが、あっという間に待ち構えていた土地の人間に取り囲まれて、バッグなんかどんどん開けられたりいろいろされて、春なのに真夏みたいに暑いし、これは大変な所に来たなと思った。
ともかく一緒に飛行機から降りたヨーロッピアンと一緒に、逃げ込むように乗り合い自動車に乗り込んだ。自動車の中に入っても、窓から手が、こう入って来てね、引っ張られる。その人たちの手というのは泥まみれ。で、よく見るとね、空港にいる人たちだからかもしれないけども、半分以上は片輪。腕がなかったり、足がなかったり、指がなかったり、とかね。片輪って言っちゃいけないのかな。身休障害者って言葉があるけど……。そういう人間たちがいる。生きている……。
なるほど、っていうふうに後ろを振り向きながら空港を抜け出してカルカッタの街に入った。世の中っていうのは混沌、つまり、君らは井の中の蛙で、僕もそうだけれど、蓋を開けたら地球の中って何があるのかわからないなって、そんなことも感じた。
きれいにうまくね、日本の社会っていうのはオブラートに包んである。非常に清潔なオブラート。アジアに比べれば、あるいはアフリカに比べれば、非常に清潔な国だと君らは思ってるかもしれない。でもね、ちょっとインチキ臭いぞ。清潔なんだけれど、不潔なんだよね。インドに行っても、ネパールに行ってもそうなんだけれども、不潔なんだけれども清潔なんだよね。彼らが日本にきたら、ひょっとしたら非常に清潔な国であると同時にものすごい不潔な国だって思うかもしれない。
見せかけだけは確かにきれいだ。でも、裏は汚い。環境問題にしてもそうだ。これから40年後、あるデーターが出てるんだけれど、東京の都心、僕の住んでる新宿は世界一の灼熱都市になるんだって、43℃だ。インドはもっと涼しいよ、風が流れているから。なぜかということだが、オフィス・ビルが乱立する風景なわけだね。大都市一極集中、つまり東京一極集中という構図、それは避けなくちゃいけないってことをいろんな見識者が言ってるけれど、避けられてない。どんどん転がり出した雪だるま、止められない。そういった中で、エネルギーの問題、あるいは冷暖房機の室外機の問題等いろいろあって、大気が汚染されていく……。
東京は遅かれ早かれ世界一の灼熱の都市になる。不健康な町になる。その中で働いている人たちは非常にきれいな格好をしている。夏はクーラーが効き過ぎて、場合によったらセーターを着て、冬は半袖で、そういう生活をする。外には暑くて出られない。地下と空にチューブがあって、外に出ることはなくても家に帰ることができる。そういうふうなイメージが僕の中で浮かび上がってくる。非常に不健康な風景。これはS F的な風景じゃない、近未来の事実となる風景だろう。知らず知らずに蝕まれていくんだな。
ちょっと話が悲観的に逸れましたけど、カルカッタはそういう意味では混沌としている。今、地球っていうのはどうなっているか。カオスの状態であるということを認識するっていうのかな。たぶん、石塚君もいろんなとこ見て歩いて、だいぶ日本と違うなと思ったんだろうが、君らも自分の足で、一歩一歩、歩くことによって、今の現代社会の虚偽が見えてくるかもしれない。メディアを通じて報道されていることだけが真実じゃない。自分の実際の目で見て感じたことから軸を立てなくちゃいけない時代になっている。メディアがずいぶん発達して、逆に世の中が見えにくくなっているということがありそうだよ。
これから創造活動をしようなんていう人はね、そのへんのことがきっちりと捉えられていないと、まずいと思う。何かに媚びて生きているようじゃしょうがない。自分の意見が言える、自分の考えがある、つまり表現ということは自分自身の体験と発見、感受性っていうのがベースになってないと意味ないよね。
そういう意味で、カルカッタに行った時は、ああ、こういう世界があったんだ、とかね。蓋をあけたら出てくる、出てくる、出てくる、見えてくる、そんな感じだ。
カルカッタにはヒマラヤから流れてくるきれいな水があって、その水がガンジス河になって800kmくらいの旅をしてカルカッタの河口に流れてきて、インド洋に流れる。いろんなものが流れている河の水を見てるだけでもおもしろい。いろんなことがわかる。いろんなものが流れてくる。
(他の教室の先生の声、スピーカーから乱入)
おっと、これどうなってるんだろうね。文明の利器っていうのはどうにもなんないね、こうなっちゃうと。じゃあマイクは切って、もうちょっと大きな声でしゃべりますね。
コメント
この記事へのコメント
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2009/09/24(木) 17:38:24 | | #[ 編集]
同感です
先生こんにちは。
非常に共感しました。
まさに日々そういうことを思いながら生きています。
と同時に、そういうことに絡めとられていきそうになる自分に嫌になります。
かといって、革命もなさそうだし。
どうしましょうかね?
2009/09/24(木) 19:23:09 | URL | 設計島 三浦 #mQop/nM.[ 編集]
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