旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
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2005.04.01
 会津田島の馬宿(旧大竹家住宅)ならびに関連民俗調査報告書
aizu2.jpg

福島県田島町教育委員会
1988年3月31日/A4版199頁 
本体価格3800円+税
残部なし

【解体調査】
はじめて馬宿を訪れてから半月後、三月初旬から四十日間にわたって解体調査を行った。建築調査とあわせて民俗調査(武蔵野美術大学生活文化研究会)も行われた。南会津の三月はまだ雪の降る日も多かったし、根雪もたくさん残っていた。
私たちは、時々いろりで暖をとりながら、解体前に細かな現状図面を起こした。馬宿のなかで十日が過ぎた。解体はその事前調査が終わってから少しずつ行われた。普通の家なら一日か二日で壊すところを約一ケ月を要して解体していった。解体というより、剥がしていったと言った方が正確かもしれない。
家が少しずつ姿を現すことと反対に、少しずつ消えていくということは不思議な感じがした。一日の作業が終わって宿舎に帰る時、一回り小さくなった家をいつまでも眺めていることが多かった。どんどん過去に入っていく感じがした。
茅むきの日は気持ちよく晴れあがった初春の一日だった。その日は茅屋根職人だけでなく、近所からも大勢の応援がきて屋根に登った。地走りの人も随分多かったし、女衆も食事や酒盛りのための準備に忙しく働いていた。総勢五十人を越えていた。日本の屋根を守ってきた結(共同体)が、ここではまだ生きていると思った。考えてみれば会津は茅手と呼ばれる草屋根職人の里であった。 
解体期間中は再建に備えて、見落としのないようにと、気が抜けなかった。痕跡をたどりながら復原考察も重要な仕事だったし、解体している大工棟梁や茅職人にいろいろ教えてもらうことが多かった。
解体中にわかったことは少なくなかった。まず古番付*が柱の根元から発見され、改造部分の領域もはっきりした。架構方法も明確になったし、技法も確認できた。復原に際して再用材と取替材の判別もできた。
解体も終わりに近づいた四月十三日、霧雨の降るなかで職人たちの中から大きな歓声がおこった。小黒柱の上部の長いホゾに墨み書きが発見されたからだった。そのホゾの二面には建築年代と棟梁の名前が書かれていた。
  享和元年 七月十二日
  大工棟梁 仁ノ助
享和元年とは1801年、馬宿は今から200年以上も前に建てられていたものだった。その日の喜びは、昔の職人にやっとめぐりあえたという喜びであった。


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