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旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2011.11.08
 北軽山荘 MANAHOUSE の時空をめぐって
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甦ったバンガロー/photo by ryo hata

対談◎鈴木喜一×広瀬麻奈
北軽山荘 MANAHOUSE の時空をめぐって

鈴木●麻奈さんが生まれる前に北軽山荘が出来たと聞きましたが……。
広瀬●そうなんです。私が生まれる四年前にこの土地を購入して、バンガローでのキャンプ生活から始めたのだそうです。
鈴木●あの広い敷地に小さなバンガローだけだったんですね。その後、母屋とアトリエ(現スタジオ)が増築されていった経緯を教えてくれますか。
広瀬●母から聞いた話では、最初の夏のキャンプ生活がほんとに楽しくて、両親とも北軽井沢を気に入り、ちょっと頑張って、翌年母屋を建てることにしたそうです。東京では、狭い小さな団地で生活していたので北軽井沢に来ると父はとてもリラックスしたみたいです。母屋が建って三年後に私が産まれました。
鈴木●昭和42年だったかな。
広瀬●はい。その頃、東京でも、郊外の団地に引っ越したんです。若いのに理想の暮らしを求めて、両親はものすごく頑張っていたんだなあと思います。母屋の横には、子供たちの遊び場やお客様用にバンガローが置かれて、よくそこで従兄弟たちや、母の同級生の子供たちと兄や姉で一緒に雑魚寝したりしたみたいです。
鈴木●麻奈さんはもちろん小さくて記憶がないでしょう。つまり、あのバンガローが広瀬家の原点だったんですね。
広瀬●しばらくして、母の両親が小さな離れを建てて毎年、夏を一緒に過ごしました。祖父は病気があって、いつもゆっくり杖をついて散歩しながら俳句を作っていました。最後に詠んだ句も、北軽井沢の自然を詠った句でした。祖母とはよく庭で遊びました。
鈴木●その離れは、すでになく……。
広瀬●はい。それから兄や姉が大人になって、段々来なくなり、両親の関係にも変化が訪れて、私が11才の時に二人は別れました。しばらく夏は父と私で夏を過ごすことがありました。父は料理も家事も難なくこなす人でしたから、きっといろんな想いはあったとしても、崩れることなく仕事をして、健康的に暮らす努力をしていましたね。でも、私はやはり少しかわいそうな気持ちがあったので、夏は一緒に過ごそうと思っていました。
鈴木●うーん。
続く……


北軽山荘 MANAHOUSE ☆ 想像力を研ぎすます
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