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旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2011.11.06
 早稲田スコットホール断面図
2011110637.jpg
断面図を描く日曜日の午後。
左・半地下部分/早稲田スコットホールギャラリー、中央・玄関ホール及び階段室、右・講堂

早稲田スコットホールギャラリー

●スコットホール建設にかかわる基本設計及び施工監理及び職人の全容
これまでスコットホールの設計者はW.M.ヴォーリスのヴォーリズ建築事務所とされてきた。
だが、ヴォーリズ建築事務所のヴォーリス年譜を見てもスコットホールの名称を見いだすことができない。スコットホールの献堂が1922年。その頃のヴォーリス年譜によると、作品としては大丸百貨店大阪店、大阪教会等があげられている。1920年、ヴォーリズは「ヴォーリズ合名会社」を解消し、「ヴォーリズ建築事務所」並びに「近江セールズ株式会社」を設立するなど近江八幡を拠点として関西方面に軸をおいて活躍している。
では、早稲田のスコットホールは実際、誰がかかわっていたのだろうか。
早稲田奉仕園の創始者ベニンホフ博士は、早稲田大学教授の内藤多仲に施工監理を依頼したという書簡が残っていて、内藤教授は意匠担当として今井兼次を選び、その今井が現場に通っていたという事実があり、実際、彼がエスキースのような施工図面を何枚も描いている。
一方、ベニンホフは、それ以前に、旧知のW.M.ヴォーリスに基本設計を正式に発注していた。その設計図は、W.M.ヴォーリスの元で、L.W.スラック、佐藤久勝が担当したとされている。その基本設計図はベニンホフに渡される。ベニンホフ、内藤多仲、今井兼次がその図面を丁寧に読み取り、検討して施工現場に入っていったことが想像できそうである。その時に起用されたレンガ職人は竹田米吉で、彼は後に早稲田大学に入学し、内藤多仲、佐藤功一等に師事するということもあった。
これが、スコットホール建設にかかわる基本設計及び施工監理及び職人の全容だと思われる。
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