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旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2010.10.17
 ふーらりサンデー

日曜日はゆっくり休んで、喜一山手製のヘルシーランチ。


ふーらり散歩。ついつい立ち止まって読んでしまった京極夏彦の文章

九段一丁目と曲亭馬琴●京極夏彦
この「場所」にはかつて、人の歴史よりも長い悠久の時間があったはずである。その、堆積(たいせき)した時間の一番うえに、現在のこの「場所」はのっかっている。その、長い長い過去の中から、たった三十年ばかりを拾ってみる。
寛政(かんせい)五年(1793)。山東京伝(さんとうきょうでん)に入門を願い、その後、蔦屋(つたや)の手代(てだい)となった下級武士の倅(せがれ)が、ここ元飯田町(もといいだまち)の下駄屋(げたや)に婿入(むこい)りした。その男は戯作者(げさくしゃ)になるという夢が諦(あきら)め切れず、家業のかたわらこの場所で小説を書き始める。曲亭馬琴の誕生である。文政(ぶんせい)七年(1824)まで、馬琴はこの地で戯作を紡(つむ)いだ。馬琴が硯(すずり)を洗ったという井戸も残っている。『南総里見八犬伝(なんそうさとみはっけんでん)』も『椿説弓張月(ちんせつゆみはりづき)』もここで生まれた。
だからどうだ、と謂(い)われてしまえばそれまでである。
現在のこの街のこの「場所」に、たぶんそんなことは関係のないことである。それでもそうした故事来歴(こじらいれき)は、平面の地図上に幾許(いくばく)かの高さや深さを与えてはくれる。「場所」は、必ずしも過去時間の呪縛(じゅばく)だけで成り立っているものではないけれど、ここがそうした「場所」だったという記憶を記録に転じて示しておくことも、そんなに悪いことではないように思う。



ギンレイホールは何を上映しているのかな。


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