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旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2010.08.15
 追悼●田中文男棟梁/神楽坂建築塾講義04
そして三番目が「習って高める」ということ。これが難しい。
基本になるのは、「観察し、記憶し、比較する」ことだと思います。何でも。見ただけで終わる奴は、たくさんいるんですね。見たことを覚えとけ、そして自分で比較しろということ。人が言っていることを真に受けることはない。自主的に問題意識を持ち、その解決に合理的な計画を立てて、出た結果に責任を持つことだと思うんです。言いっぱなし、やりっぱなしはよくないですからね。そうすると自分のできる範囲はおのずから限定されるけど、高めるということはそのパイをどんどん大きくし、スパイラル(螺旋的)にもっともっと高いところに上っていくということです。これはやってもやらなくても給料には影響がないんだけどね。会社から貰う給料がすべてではない、自分自身の価値を高めていくこと、それが「習って高める」ことの意味だと思います。
その中でも、世界史の動向に無関心であってはならない。つまり社会の変化を予測し、それに対応した戦略を策定しておかないと、「いまだに仕事が無い」なんて言うことになる。せめて十年先は見越しておきたい。
それからもう一つ、願望を結論にする人間は嫌ですね。てめえの都合通り行くかっていうんだよね。大事なのは、自分の意見を自分の言葉で語るってこと。それによって世の中で必要とされる人間になることが大事なんじゃないか、と。

●大工に求められる属性は何か
私は、25歳の時に、ある先生に「この家をやってくれ」と言われ、初めて請け負いを始めちゃった。まだ夜学に通ってたんですが。その時に、大工というものが、いっぺんにはいかないということを知りました。
資料にあるのは、中世の大工組織の図です。大河直躬先生が『番匠』でまとめられたものです。一人の「大工」が数人の「引頭」を使い、一人の「引頭」の下にはまた数人の「長」がいる。そしてその下にまたそれぞれ数人の「連」がいる、という図式です。「連」は「連中」の連ですから、だいたい分りますね。計算してみると150数人に一人しか大工になれないわけです。ですから、今自分が「連」だと自覚したならば、一日も早く「長」になるように努力するということだね。何を対象に努力するか、というと、「人」「金」「時間」「物」「己」とのたたかいなんです。下から見てみましょう。
「連」の条件とは、「仕事が一人前にできるか、職人を動かせるか」ということですが、「人を動かす」ということは己とのたたかいなんですよね。「あんちくしょう」と思ってる奴でも、たててお願いしなくちゃならない。つい晩酌の量が増える、なんてことにもなる。
次の「長」になるには、仕事と物の内容がわかることが条件、そうなると世話役が張れるということですね。その次に「時間」を対象にするというのは、工程表が組めるか、仕様書が読めるかということ。これだと管理が出来ますから、下請けの親方はできますね。その上は「金」の支払いができて集められること、これは工務店の社長ができるということですね。
そして、仕事を仕掛け、また頼まれるようになると設計・監理も、営業もできようになるということです。それを「大工」と呼んだんですね。職人が今「手間が上がんない」なんて言うけど、親方の下で40年前と同じことをやってんだから。それからサラリーマンも最近は上らなくなってきたでしょう。大学出て入ったら一生安泰だと思っただろうけど、一生安泰なんて船はもうないよ。地球ですら危ないんだから。だから、いつも勉強しなければだめなんだ。たゆまざる努力をして上に上って下さい。これが大事なことだと思います。
学校行けば安心なんて思っちゃだめだ。やるのは自分なんだから。学ぶ方向性を手助けしてくれるのが学校なだけなんです。今の大学が、就職のための肩書きだと思ってやがる。何も覚えていない。それで「高学歴低学力」が多くなる。ボキャブラリは「ダメです、無理です、わかりません」だ。それでは困るから、みなさんはまず自分でやる気になって欲しい。みなさんの中でも「だったら私も大学の時に、この方式で学んだらよかったのになぁ」と後悔する人がほとんどではないでしょうか。……ここであんまり頷かれると、やる気なくしちゃうよ(笑)。

●六角形の作り方……知恵の具体例
具体的に知識と智恵の話をします。建築で一番使うのは八角形なんです。八角とは45°だからさしがねの裏目があればすぐにわかります。その次に使うのが六角形なんです。たまに、親方になると五角の木組みをすることもありますが、まず使わない。六角形とは、ご存知のように60°ですよね。水平線に対しては30°です。30°のタンジェント(tanθ)はというと、0.57735となります。この正しい数字をAとします。
それを大工は、Bの「六の五八」やCの「四七の六」という考え方で六角形を描くのです。大工は公式を書いたノートを持って歩くわけにはいかない。体に身に付けておかなければならない。大工は勾配(水平に対する垂直の比)で考えますからタンジェントという言葉を使いません。正規の30°を勾配で表現すると「五寸七分七厘三毛」となる。でも毛(もう)なんて単位は見えませんから切り捨てればいい。実は大工と、木材の世界では「四捨五入」ではなく「2捨3入」なんですよね。昔、木場で三寸五分(105mm)角の柱を百本買おうと思った。「0.35尺×0.35尺=0.1225」と思っていた。それを向こうは「0.123」だと言ってくる。これだけでも百本買うとえらい違いになる。どうしてだと聞いたら「小数点以下三桁、2捨3入で計算します」と言われた。そういうことも知っていなければなりません。更に「石(こく)」と「立米」が混在する。早くエスペラントになっちまえばいいけどね。両方知っとかんといかん。材木は五分刻み、または2センチ刻みで表示されます。例えば「末口30センチ」となっていたら「30~32センチ」まで幅があるということ。だから相手の顔を見て、「あいつはせこいから表示ギリギリだっぺな」とか、「あいつは甘いから単価高めに買ってやろうかな」とか考えなければならない。
さて、六角形をどう描くか――学校で習った知識だけだったら「コンパスと分度器で描く」と言う。しかし材木屋も大工も、コンパスなんか持っていない。持ってるのはさしがね一丁だけ。そこで図にあるように、さしがねを五寸八分にあてて線を引きます。それを「先の墨を残して挽いてくれ」というんです。昔、仏像の台座をつくるとき、機械で墨通りに挽かれてしまった。六枚を合わせてみるとコーナーの先がすくんです。わずかとはいえ、30°と30.07°の違いがあるんですから。
「六の五八は間違いなのか」と聞くと、「そうじゃない。正六角形は勾配0.57735のところを便宜的に0.58にして墨を引いたんだ。だから実際に切るときには、わずかに墨を残して切れって言ったじゃねえか」と言う。そんな失敗がありましたね。まあ、台座だから長さを詰めてしまえばわからないことでしたが。こういう風に、長いものから六角形をつくる時は「六の五八」を使います。
一方、破風板の懸魚(げぎょ)につく六葉(ろくよう)等は「六の五八」は使えない。そこで「四七の六」を使うのです。これも厳密に言うと数厘違うから、切るときに注意しなければならない。
知識を知恵に変えるというのはこういうことなんです。そんなに難しくはない。数学的にはかなりの近似値ですからね。昔よく兄弟子に怒られて、「細部から大要を見よ」と言われました。そして同時に「大要から細部をつかめ」とも。

●知識は感性と悟性に積もる垢である
「大工は大工のことをわかっていればいいのではない、建具屋のことも屋根屋のことも植木屋のこともわかっていなければ、人にものを頼まれるような男にならんぞ」ということを言いたかったんだと思うんです。40年たって分りましたね。それを可能にするためは「頭の中の眼で見るんだ」と。「頭の中に眼があるかい」と言ったら「バカヤロウ!」と怒られました。その眼力を養うのは知識だけではない。人に教えてもらっただけではダメだ。人に教わったことは補助だ。それがメインではないんだ。そればかりによりかかっていると眼が曇るから気をつけろ、と。眼力が落ちるぞ、と。「知識は感性と悟性に積もる垢だ」と言うのはそういう意味です。
それからいたるところに先生はいる、ということです。私の場合、世の中の人はみんな先生でした。木場に行けばそこに教えてくれる人がいる、製材所に行けば木のことを教えてくれる人がいる。本に書いていないことを教えて貰えるってことは大変なこと。今でも覚えているのは、「前を見過ぎると足下がおろそかになるぞ。しかし足下を見すぎると前がおろそかになるぞ」と言われたことです。「歩くってこと、つまり生きてくってことは難しいんだ」とも言われましたね。目的がなければ努力しにくい、目的を失ったときに新しい目的を見つけるのが才能なんです。何の気なしに生きているのは牛馬と同じだとね。
「平穏無事を満喫しているようではだめだ。現場でどんな事故があるかわからないし、お前の仕事は人様の生命財産を守る仕事なんだから気をつけろ」とも言われました。あらゆる角度で困難を想定しなければならない。あるところで八脚門を建てるために柱を買いに行った。普通なら12本買えばいいんだけれど、予備のために2本位買っておく。でも自分の倉庫には置いておけない。人のところに預けておく。そしていよいよ建て始めようかという一週間前に「いやぁ親父、間違っちゃったんだ」と来るんだよねぇ。「埋木したら……」と言うから「バカヤロ、200年も残るものに埋木なんかできるかぁ。替わりを持ってくるから取り換えろ」と。このための用心なんですね。世の中に、間違いと勘違いは必ずある。あることはいいんです。問題は、それにどうやって対応するか、なんですね。

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