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旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2010.07.04
 家康の旅●06
家康は大坂城を滅ぼして(大坂の役◎1614年 - 1615年)、駿府城に戻る。戻ったのもつかのま、
「さて、足腰もいえたり。関東各地に鷹を放ってあそぶべし」と言った。
初秋、旅に出て、街道の野山を転々として、江戸城に入ったのは仲秋の名月の頃だった。旧暦十月の寒さはそうとうにきつかったが、川越、千葉の草の上を走って飽きることがなかった。家康はその寒気を追って駿府に戻る。12月16日だった。明けて元和二年正月。正月の間はじっとしていたが、20日頃には、「この近くで鷹狩りをするか」とまだ寒いのに言う。
これが、家康、齢74の時の行動である。この近くで鷹狩り、と言って出かけた先は駿府から西南に15キロ、藤枝近く(田中)だった。家康はここで最期のきっかけとなる食傷を受ける。
彼の旅は、ここから、山野を駆け巡る旅を卒業し、遠からずの死を自覚して、その後の時代を構想する旅に入る。そしてこの年、4月17日にしずかに逝った。この死への旅の期間は3ヶ月足らずだった。
彼は残された3ヶ月の旅で、自身の生と死をもって、世界に戯曲的な構成を与えていたと僕には思える。それは死を意識しながら静寂に周囲を見ている眼差しだ。家康は死後の世の中に、自分を最適に投入できないだろうか、という思索の旅に入ったのだ。
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