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旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2010.07.03
 家康の保健衛生思想●05
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有東木の薬膳山葵(ワサビ)そば。

05●家康の保健衛生思想
唐突なくだりになるが、
(『覇王の家』/司馬遼太郎)
「かれは遊女が梅毒をもっているということで、生涯接しなかったし、なま水は飲まず、おどろくべきことにスポーツは健康にいいということをおそらく日本史上で最初に知ったかもしれない人物で、かれの鷹狩りなどもその必要からのものであり、そのことは諸記録に出ている」

前にも記したように家康は幼少期から水泳を得意とし、騎馬民族のように山野を駆けて弓を放つという武術訓練をしていた。家康の幼名は竹千代。初名は元康。この元の一字が想像力をかきたてる。
騎乗して走りながら竹弓を持つ元康の姿は、世界征服者の元(モンゴル帝国)の皇帝オゴタイ・ハーン(1186~1241年)のようであった、かもしれない。
さらに後年、駿府城造営にあたって家康は、安倍川の流路の大改修を薩摩土手を用いて実施する等、すぐれた土木治水家であり科学者であった。
ということを総合すると、筆者の空想だが、晩年、駿府に拠点を移した家康が、自分の川のように自在に操作していた安倍川をさかのぼり、きれいな水が湧き出ている山葵田を訪ねたことが度々あったという仮説はそう突飛もないことのように思える。
ましてや自分が普段好んで口にしている山葵の、その里山の風景を保健衛生的な観点から確かめておく必要があった。「この水で育った山葵なら間違いがない。しかも村人はすこぶる勤勉で素朴な民ばかりだ……。この山葵は門外不出にしておく必要がある」と語ったかどうか。

有東木の回り道
神楽坂建築塾夏合宿2010
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