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旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2010.07.01
 04●家康と有東木の関係
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家康と有東木の関係は、と言えばそれほど深くもなければ浅くもない。つまり山葵でつながっていた。
水戸黄門の、「頭が高い、この葵の紋どころが目に入らぬか」という決め台詞で有名な徳川家の家紋が葵なのである。ここでいう葵は京都のものと思われるが、駿府のそう山奥とも思えない山里に家康御用達の山葵の谷間があったのだ。
ここで家康の出生と性格について触れておく。
三河国岡崎で生まれた家康は、幼年期から今川・織田の人質として生活をおくった。桶狭間の戦いの後、一向一揆の鎮圧を経て、三河国を平定して自立。「鳴かずんば鳴くまで待とうホトトギス」という句が示す通り、家康は辛抱強い性格に育つ環境にあった。目上にも目下にも受け入れられるように気を配った。敵の多かった石田三成と比べて、温厚な家康はたぶんに有利だった。当然、用意周到な面も具備していた。その家康が、旅好きであったかどうか、筆者の興味の一点である。

05●家康の保健思想
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