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旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2010.01.17
 風景を描くことの意味 
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●風景を描くことの意味 

ずっと旅の中の風景を描き続けている。いつからそんなことになったのか正確には思い出せないが、たぶん三九五日間という異国の旅に出た一九八〇年から一九八一年のことではなかったかと思う。私は建築案内書を片手にヨーロッパ、北アフリカ、中近東という地域をあくせくとうろついていた。その長い旅の半ばで不意に、ほんとうに不意にある日、スケッチブックに旅の中の風景を描きとめることが心地よくなってしまった。
それはたとえば、一軒の自然な家があり、そこで生きている人をじっと眺めていることが大切であるとか、ゆっくり歩いて見えてくるものの方が確かな手応えをもって自分の内部に響いてくる、という実感を得た時だったのかもしれない。
以後、「大地の家」*への旅が始まった。建築的日常(つまり現実の設計活動)をやり繰りしながら、十年をかけてユーラシア大陸(アジアがほとんど)をたいしたお金も持たずに、言葉もわからずに、かなりの日々をほっつき歩いたのである。だから私の一九八〇年代は旅と建築がモザイクのように織りなされている。そして、旅における奇妙な流動感と豊かな質感が、私の中の建築表現に徐々に徐々に絡みついて一体化してきたような気もする。
旅のスケッチブックに次々と描きとめられていったものは、建築家の存在しない建築であり、無名に返されているアノニマスな集落や日常風景が多かった。心地よいから無心で描いている、夢見るように描いている、ただひたすら対象のエネルギーを受けている、その土地の人たちと一緒に描いている、と思っていたのだが、あるいは無意識のうちに、自分の実感がぶれていかないように、つまり自分を維持し続けるために描いていたとも考えられる。
ディフェンス(defence)、自分を維持し続ける……。
一九六〇年代から一九八〇年代といえば、都市の乱開発、環境汚染、田園の解体、森林破壊が急激な加速度を持って進んでいった時代である。成長が暴力的に強制されている建設状況あるいは社会機構だったといえるだろう。そういう現代の特殊な「走り」に対して私はできるだけ自由でいたかった。事実それを裏付けるように、私の建築的日常は、身近な友人たちの住宅設計(それもボロ家の大改造とか、わがまま改築のおつきあいが多い)がほとんどであり、古民家の復原や再生、近代建築の保存絡みの仕事(運動といった方が正確かもしれない)といった内容でうめつくされている。
つまり私は「開発」という「疾走」に対して、「保存」という「歩行」を続けていたのである。「大地の家」に向かう旅は、その「歩行」をぶれさせないためのものであったのだと思う。
一九九〇年代になると私の「歩行」はさらに軽快になっていく。ある建築雑誌(月刊『住宅建築』)が背中をポンと押してくれたからである。「シャングリラへの旅」*という企画が隔月で四年間あまり連載(一九九二~一九九六年)されることになる。
世界に存在する地上の楽園を求めて、個人的な旅がわずかに公的な色彩を帯びて実行された。私は基本的にいつどこに行ってもよかったし、パスポートをとられてしばらく旅に迷っていても、一切お咎とがめめはなかった。虚飾を捨てた仙境をイメージしながら、私はできるだけ奥地へ奥地へと分け入り、大地に根を張った生活風景を描き続けてきた。
そういった「シャングリラへの旅」を繰り返しているうちに、風景を描くという行為は自分を維持し続けるためのものだけでなく、現代の文明社会において、もう少し積極的な意味あいがあるのではないかと思えてきた。
ディフェンス(defence)、自分の内側を護りながら、自分自身を少しずつ拡充していく……。
それはずっと旅を続けてきて、とくにアジアを旅してきて、どんどん大地の風景が壊れている、ということを肌で感じているからである。風景を描くことは、自分を維持し続けることと同時に、まちや建築や人間の生活をしっかり記録し、「保存」し「記憶」することではないかと今は思っている。その土地に対して、誠実に忠実に情熱を持って描く風景は自分を超えたところでその場所の真髄が純然と出てくるものなのである。
(初出・1998年9月/「武蔵美通信」)