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旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2009.11.29
 梅雨のうっとうしさの中でKyotoよりの独白
20091129145159.jpg
1989.7.1(from shoichi sogo

Positive.  Positive for every-body.
Thanks for positive.

1/
最近、非常に気分がすぐれません。別に今始まったわけではありませんが段々悪くなって、ヤケクソになりそうになったり、そしてパーとウロツイテ旅をして、少し気分がよくなったような気がして、、、そんな生きてる一瞬もありますが、どうも根本のところで病んでいるみたいで、“救い”はカンフル剤をうったような効果しかもたらしませんでした。
ボクとしてはその一瞬一瞬を自己の器にあわせて気がむくように正直に生き、生きているわけですけど、確かに自己の限界を越えてしまうような気分の悪さの苦痛にとらわれてしまいます。
そのボクの限界を越えてしまう原因はなにか、、、これは自己流の定義かもしれへんけど、“文化”、人間の(限定して日本人の)生きていく文化が存在しなくなってしまっていることに由来するように思います。
『大地の家』、図書館に買わせて拝読いたしました。鈴木さんの本やから...、マスコミ・出版世界という巷の興味ではなく、あの男どんなこと書きよったのかと...、一つの機会として、旅の途中で出会った一人の男の軌跡、その表現を軽い意味で、その中にはいかほども語るに足らずまいと、少し人を食ったような反骨精神でもって、また確かな手応えのあるらしく存在する人格が崩壊してしまう不安、恐れに少々刺激的になりながら読み始めました。そして読みました。読ませてもらったというべきか。それは意に反して正直いって感動がありました。
建築(あえて限定して使う言葉で失礼)という一つの文化としてのジャンルの中から見た、そして感じ、表出された内容は、現在、今のボクの気分の悪さの原因が、あるていど、おもしいほど考察されており、人間、旅、文化、建築、etc、生きるということの諸々の関連がよくわかりました。おかげで失礼をあえて言わせてもらうと、以前よりさらに“鈴木喜一”が見えました。ーー乾杯ーー

2/
前近代的な文化を破壊しつつ、してしまった我々日本人は、また同じような轍を踏みつつある。その他の亜細亜の人々は一体どうやってボクみたいな気分の悪さにさいなまれずに生きていけばいいんでしょう。それはボクにとっての答えでもあると思います。
その戦いは(好きな表現じゃないけど)前途険しく、それこそ人間個人の無力、非力を実感して空しくなってしまいます。
器としての建築という領域の中での活動が一見して微力だとしても、鈴木さんの“微笑”の中に、このボク個人としては“気分の悪さ”というネガティブな暗に光明の一条を発見してしまった気分になりました。その光明の一条は強力なポジティブな武器として、その戦いの中に存在すると思います。
ボクもポジティブに生きたいものです。なんか、こむずかしく、えらそうなことを勝手に書いてしまいましたが『大地の家』おもしろかったです。特に軽く流してやろうとしたアプローチがあまりにも大きかったので心地良い驚きをともなう満足を久しぶりに味わいました。ボクの反骨根性、これもう性格ですね。そやけど、最近の日本人、皆失ってしまっちゃったのではと少し勝手に心配したりしてーー。
続く......

3/

十川正一とは ?
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