FC2ブログ
旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2009.11.09
 22●娼婦街
daichinoie.jpg

●娼婦街                    
娼婦街を歩く。セントラル・ステーションから歩いて10分程に位置する小さな路地だ。二階のベランダから女が顔を出している。入口の上には、WELCOMと英語で書かれていて、各部屋には番号が表示されている。三階建ての家並が続いていて、壁は青か緑に塗られている。窓には派手な娼婦たちの衣装が干してある。戸口では昼間の陽射しにぐったりとしたような女たちが座っている。肌の黒い女、ネパール系の女もいる。
ウィンクをしながら女たちは声をかけるが、激しい呼び込みではない。けだるい静かな仕草だ。同じ通りには、組紐で編んだベッドに子供や女たちが寝ころんでいる。少女たちは編物をしながら大声でおしゃべりをしている。この小さな女たちも娼婦の予備軍だろうか。四角い窓から顔を出す女は投げキッス。しばらく立っていると客引きの男が来た。
「120ルピーでどうか、 ショートで35ルピーだ」
「いや、いいんだ。その代わり娼館の中の写真を撮らせてくれないか」
「OK、10ルピーだ。来いよ、おれについて来いよ」
男は二、三軒の娼館を案内してくれた。入口近くだけに座っていると思われた女たちは奥の部屋にたくさん待機していた。細長い廊下があって両側にうす汚れたいくつもの小部屋がある。確かにネパール系と思われる女が多い。女たちは当然のように写真を嫌って逃げ出す。男は早く撮れという。
「なぜ、私を撮るの」
ある女は、きっぱりとした厳しい目をして銃をよけるように身を隠した。彼女の目を見た時、銃で撃たれたのは私の方だと思った。せかせる男の案内を断って、私は足早に娼婦街を去った。
人間の最も古い商いの一つに売春という行為がある。昔から娼婦のいる町は港町が多かったという。拡大していえば都市というところは港町なのかもしれない。いい娼婦がたくさんいればその町には活気があった。それは、やはり一つのエネルギーなのだろう。ボンベイもまた、そういう港町であったにちがいない。
そこで働く女たちは何らかの事情によって娼婦となって体を売る。体を張るということは、自分に残された最後の砦で戦うということだ。娼婦という仕事であれ、何の仕事であれ、体を張ったすれすれの行為は安易な傍観を許さない。すでに諦観といったようなものを自然に含んでしまったあの目をひしひしと感じながら、私は暮れかかったボンベイの街を歩き続けた。路上には「神の子」が元気に遊んでいる。
『大地の家』抄/1988)


スポンサーサイト