旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
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2009.10.31
 20●自分の気持ちが解放されているか
20●自分の気持ちが解放されているか
自分の気持ちが解放されていないと、絵は縮こまってしまう。写真もそうだと思うな。だから、僕は一年生のデザイン論演習の授業では絵を描かせるんだけれど、絵を見るとわかる。ああ、この人はどういう気持ちで描いているかということが。わかるわけないでしょ、というかもしれないが、わかるんだよ。この人は本当に頑張ってやっている、一生懸命打ち込んでる、とかね。これは課題のためにやっただけだ、とか、写真を見て描いたな、とか。すぐ、すべてわかる。
安野光雅さんという人がいるでしょ。ヨーロッパの風景を描いている。テレビの対談で彼が言っていた。絵を描く時に、彼はかなりいっぱい描いている人だから、彼の描き方なんだろうけど、「安野さん、どのくらい現場で描くんですか」というインタビュアの質問に、彼は「40%ぐらい現場で描いて、後はアトリエで描きます」と言っていた。まあ多分、みんなそうして描いているんだろうな、って僕は思うんだけれど。そうして見ると、確かに40%現場、あと60%アトリエで仕上げている。アトリエの空気が出るんですよ、残りの60%に。正直なもんだなあと思いますね。
それを非難してるわけじゃない。でも、本当はね、100%現場だっていうのが僕の描き方。下手でも嘘は描かないという態度です。だから、絵というのは、下手とかうまい、そういうレベルじゃない。いいか、悪いか、という判断の方がいい。下手だなって言われてもくやしくないね。悪いって言われるとくやしい。
先週、大地の家のタール砂漠の話をしていた時、砂漠でバスが止まっちゃって、バスをみんなで押して、苦難を乗り切ったという話をしたけれど、ひとつの出来事に遭遇すると、その都度、教訓というほどのものでもないけれど、感じたことがある。要するに、何があっても不思議じゃないっていう感覚。何があっても受け入れるっていう感覚。
スリナガルの山の中でバスが停車した、あるいは、タール砂漠の、砂漠の真ん中で砂嵐になってバスが止まって、どうにもならない。その時に、困るんだけども、そういうことがあって当たり前。
人生もそうですが、旅っていうのは、思い通りにはいかない。思い通りにはいかない、そのことを認めよう。それを基本に押さえておくと、ものすごく楽です。それを一回胃の腑の中に落として、じゃあ、さて、どうしようかって考える、とね、面白いことがぽっぽっぽっと立ち上がってくる。
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