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旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2008.10.11
 時森幹郎の辛口批評☆ネイチャーとしての可能性☆オマーラ・ポルトゥオンド
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青山恭之講師の設計術。
本講座●18時30分~20時30分
【時ちゃんの感想】
神楽坂には建築屋さんではない人もいるので、そういう人には、ちょっとむずかしかったかなと思いました。OMとか、有孔セメント板とか。結局のところ、定位というのが、いまひとつわかりませんでした。(とき)
【ネイチャーとしての可能性】
今日もっとも考えさせられた問題は結局「家」はカルチャーかネイチャーかという根本的な定義についてでした、「家」と言わず、「建築」についても同様ですが。
私自身も住宅の設計、あるいは建築の設計において最近考えることが、カルチャーとしての限界とネイチャーとしての可能性という現実的な実感です。ネイチャーとして、しっかり考え直すことの方が実際は有益であり、よりよい環境づくりに確実につながると感じています。篠原一男氏が「きのこ」と称した自然なありようが今や建築の対象となってもいい時代にやっとなったのだと思いました。(松崎)
【建築とは「おさまりなり」】
大工・小松完
建築とは「おさまりなり」、いい言葉ですなぁ~。
民家はきのこである。自然の中の一つ。僕もそう思う。
木の成長は本当に思ったより早い。その後、どうするのか?
建築家の人って家を造る時、いつもあんなにいろいろ考えているのでしょうか?

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