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旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2008.08.30
 「高く飛ぶ」ことの難しさ
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孤独な旅の定理は五つ
一つ。出会いと別れをかみしめる
二つ。一寸先は読めない
三つ。決まった色をもたない
四つ。高く高く飛ぶ
五つ。静かに歌う


『ふーらり地球辺境紀行』書評●渡邉義孝

「高く飛ぶ」ことの難しさ

旅は誰にでもできる。
一人旅だって、宿を決めない自由旅行だって、ちょっとしたノウハウをつかめば、そんな難しいことではない。行き先を決める決断力と、目前の問題を解決するエネルギーがあればなんとかなる。
たが、先の見えない旅の途上で、常に「高く高く飛ぶ」ことは難しい。本書のオリジナリティは、48編のエッセイを貫くこの高い視点にこそある、と私は思う。
『日本辺境ふーらり紀行』の続編というべき本書には、建築家である著者が「ふーらり」と巡った世界各地の「辺境」の出来事が綴られている。
東南アジア、中米、インド、ヨーロッパと縦横に行き来しつつ、偶然に出会ったかの地のさりげない日常が描かれているが、幸運にも出会う人は善人ばかり。時代遅れのキスリングを背にスケッチを描きながら飄々と歩く姿に、どんな国の人も警戒心は抱かない。タクシー運転手がそのまま自宅に招待してご馳走してくれたり(「スマトラ縦断日誌」)、著者のためにボランティアで竹の家まで作ってくれたり(「住むことのここちよい軽さ」)。
そんな「あたたかいストーリー」の中で印象深いのはトラブルとの遭遇だ。
インド洋に浮かぶアンダマン諸島で「帰りの船は5日後だ」と言われた時。
「こういう時の心境というのは、困ったなという心細い不安な気持ちと、いよいよ面白くなってきたぞ、という気分が僕の場合半々である。危うい充実を好むたちといえるかもしれない」(「海辺で呆然と過ごす日々」より)
かつて著者はこう語ったことがある。「トラブルになればなるだけ、その逆境を楽しむ自分がいるんだよね」
本書には出ない事件だが、氏はタイ・マレイシア国境でパスポートを盗まれたことがあった。その時には、たしか電柱をけっ飛ばした(?)らしいが、それでもその「悲劇」を観察する観客としての自我があった、と聞いた。「高く高く飛ぶ」ということは、きっとそういうことなのだろう。
「その人がいかなる人間かを知りたければ、一緒に旅をすればよい」
これは哲学者・三木清の言葉だが、「嗅覚」を研ぎ澄まし、その知覚に従順に歩む方向を選んでいくというプロセスは、たしかにその人の生のありようにも繋がっている。それは生き様の縮小された投射であり、旅人の眼にピンホールカメラのように飛び込む「辺境の人びとの生活と精神」が、くるっと回ってその内面に無限のシャドウを映し出す。
「ふーらり」旅を追体験しながら私たちは、「高く高く飛ぶ」ことの意味が、さまざまな生の実相を垣間見ることであるとともに、自分自身への冷徹な照射そのものなのだ、ということを知るのだ。
「自由な旅」は、すればできるものではない。人生そのものの充実を措(お)いて、旅だけが高みにゆくことはないのだから。(建築家・東京を描く市民の会理事)

『ふーらり地球辺境紀行』出版記念パーティ☆20080718


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