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旅する建築家
鈴木喜一の

大地の家
2008.05.28
 神楽坂ふーらり目線
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風鈴とふーらり目線は関係あるかな?
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山下漆器店

神楽坂という都市の歴史的把握と未来に向けて

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いつもながらこの靴屋は渋い。

「このひと坂のヒト」抄

◎それでは最後に、神楽坂に対してこうあってほしい、というような想いを聞かせてください。
●地味な話だけど、古いまちだとはいえ、神楽坂は第二次世界大戦でほとんど焼けています。ただ地割りが生きていた。坂が生きていた。路地が生きていた。そこをよりどころに戦後いち早く作られたまちなんです。だから、戦前の時代を継承している部分があると言えるんですね。だからこそ、いま昭和20~30年代の建物をできるだけ残して整備していくことを考えたい。それが、まちを護るということになるんです。まちの住人それぞれが自分でできる範囲で護っていきたい。僕の場合で言えば、つまりここと横寺の家については死守しようと思っています。戦後から昭和40年代位までの建物や路地のリストを作って、確実に護っていくような方策も立てたい。日進月歩の世の中の波にのまれないように、確実に神楽坂を維持していきたいと思っています。

◎その建物というのは、豪華な料亭さんばかりでなくて、モルタル造りの家とか木造家屋、そういったものも含まれているんですよね。
●ええ、そうです。後継ぎや相続の問題とかいろいろあるとは思うんだけれどね。なんとか残したい。残して創りたい。
例えば神楽坂下のパウワウの一角なんか、まとめて一つのビルにしてしまうのではなくてね。ビルにするにしても、全部更地にして建てるのではなくて、パウワウ(の建物)を残してビルにすることを構想するとか、そういったことを前提とした計画ができなかったのかな、と。残すことを頭に入れて考えると、面白い隙間の空間も生れてくるんだよね。そういえばパウワウにもよく行ったなぁ。携帯電話のない時代から通っていたから、あそこの2階にいると君らが呼びに来たりしましたよね。
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