
今日の朝食◎レタス&パセリのサラダ、山羊のチーズ、カツオのしぐれ、ワイルドストローベリー小粒、枝豆のスープ(作成中)
音楽/Heavenly Music Haruomi Hosono
ヒヨコの宴◎20130628
この頃、夜、網戸にして寝ることが多い。つまり硝子戸は開け放している。庇が一メートルほど出ているので少々の雨ならとりたてて問題がない、というか静まりかえった夜から朝の雨音もいいものだ。昨夜はその網戸を閉め忘れたのか、すみれ畑の奥にあるニワトリ小屋から生まれたてのヒヨコが部屋の中に入ってきて、ピーチクパーチクやっている。そういえば、中国の山奥の村ではブタが食堂に入ってきてうろうろしていたなあ。野銀島のブタは道端でどうどうと昼寝していた。チベットのレーの病院(高山病のため一晩入院)ではネズミが大挙していて腕に絡み付いてくるのを振り払うのがたいへんだった。
それに比べると、ヒヨコはかわいい。しばらく放置しておくことにすると、やはり腕まで絡み付いてきて「じいじい、じいじい」と甘えてくる。じいじいだって? ヒヨコからすれば、残念ながら確かに僕はじいじいだ。妙に納得してしまう。
そこに蚊がブーンと飛んで来て、ふと目が覚めた。
「そうだよな。ニワトリ小屋なんてないもんな」
網戸はやはり半開きだった。昨夜は蚊やヒヨコだけではなく、いろんなものがこの部屋に出入りして宴をしていたのかもしれない。
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活けられたテルコの花
ゆらゆらと私は地上におりてゆく。
目をつぶり、静かに祈る。
きっとまた、あなたの楽土にたどりつきますようにと。
[テルコ観察日記一覧]※以下、詳しくは鈴木喜一のFacebookでお楽しみください。写真入りで紹介しています。
01●[ちょっと驚いたタマネギテルコの成長、或はテルコ登場編]/20130609
すみれの隣でグングン育つタマネギが存在感を示している。まもなく花を咲かす。地面から直立すること72センチ。茎径(茎でいいのかな?葉っぱかな?)は太いところで2センチもある。上部径でも7ミリ。
そろそろ名前をつけなくてはと思い、躊躇することなくテルコと命名。このタマネギは去年の秋、「越谷のアトリエ」の施主のお母さん、星テルさんにいただいたタマネギで、食べそこねて地面に埋めておいたものだった。さて、このタマネギテルコの運命はいかに?
02●タマネギテルコの花☆20130610/photo by CX5 KS
7:18 撮影(RICOH CX5)
久しぶりに接写の効くカメラで撮ってみた。このカメラはトミー(ご存知、写真塾の敬愛する大橋塾長です)の付き添いで「スズキ君、これがいいんじゃない?」と言われて新宿西口ヨドバシで購入したものだが、ついつい iPhone の機動力がよくてしばらく使っていなかった。許せ、トミー & CX5。
さて、テルコの花は現在、直径2.4センチの球状で、花の数は100個ほどだろう。つくづく眺めていると、なんだかすごいなあ、といまさらながら思ってしまう。
03●テルコの運命危うし?
ぐんぐん育ったテルコ、その上、花まで咲かせてしまったテルコに拍手喝采。坂口安吾風に「親はあっても子は育つ」などと言って気取ってみた。
しかし問題はここから先にあることに気づいてしまった。花開いたテルコをずーっと愛でているわけにはいかない。彼女の行く末が心配になってきたのである。KAOさんは「あなたのお腹に入るんじゃないの?」と言っていたが、そっ、そんなことはできやしない。食べるんだったら八百屋で有機タマネギを買ってくる。これが人情というものだ。
∞
旅から帰って、ようやくというかなんというか、神楽坂ヒトデ食堂に挨拶がてら行って来た。生ビールにソーセージを頼んでしばし雑談。「お久しぶり」「センセイ、ヨーロッパの洪水、大丈夫でしたか?」「それが洪水どころか、僕の行った場所は異常気象なんだろうねぇ、連日雨の天気予報を裏切って晴ればかり。暑かったんだよ」「ポーランドはともかく、ヘルシンキなんか北極圏でしょう?」「それがさあああ、ヘルシンキでも30度を超える勢いだし、ラップランドも暑くて蚊の大群が凄いということらしいよ」「へぇ〜。ラップランドがねぇ〜。得意のリンムー旋風を巻き起こしたんじゃないですか(ニヤニヤ)」
「そんな力はもうなくてさ。地道に旅してきました。ところでさあ、タマネギのことなんだけれど・・・、テルコがさあ・・・」
「・・・?」
この後、タマネギの一生についてマスターと北海道余市生まれの必殺料理人(いつも厨房にいて僕のわがままな注文に応じてくれる)のマリさんと三人で考えさせられる奥の深い話をした。コペルニクス的転回の提案である。
というほどでもないか。
04●テルコの未来
昨夜はともかく三人でテルコの一番正しい厚遇の仕方について理解を深めたのだが、よく考えてみれば僕の意見はほとんど言わなかった。食材を扱うその筋の、しかもタマネギの産地に生まれ育った人間の客観論に耳を傾けるのがテルコにとっていいことだろうと思ったのである。少なくても僕が知っておくべきことであった。
儚いといえば儚いけれど、タマネギテルコの一生も壮大なスペクタクルと可能性を秘めていている。テルコの未来は「親はあっても子は育つ」のだけれど、もう結構立派に育っていて、育ったあとはどうなるのか?という人間にも通じる重要な課題が現実に横たわっているのである。
慰められたのか、帰り際にマリさんから二つの苗をいただいた。今朝起きて顔も洗わずに小さなシャベルでガリガリと穴を掘り植えてみたのがこの写真。左に写っているのがワイルドストロベリーでこれはもう二粒ほど食卓に上がっている。
さて、話は拡散してまとめようもないが、そろそろアトリエに向かわねば。。。
午後から都下の現場に。
そして今日は、息子の誕生日。悠君、28歳、おめでとう。
05●幸せとその隣り
テルコには妹たちがいる。次女はコテル、三女はテルミと命名した。 テルコ同様、コテルにも、テルミにも、幸せと隣り合わせに艱難辛苦が内包しているように思えてならない。本日はしとしとと雨。
そろそろアトリエに出動。
06●テルコは詩人でなかなかの哲学者である。そして鑑識眼もあって医者のようでもある。
「君、風邪気味だよ」「えっ、どうしてわかるの?」「ちょっとお腹が張ってるし、腰も弱っている。いま北田海や宮井山と戦ったら負けるかも」「負けやしないけれど、確かにそうかな。テルコ、どう対処しよう?」「足を温めたらいいよ。40度のお湯で。それも膝まで浸かるんだよ」「よく知ってるね。そんなことまで」「基本ですよ。頭寒足熱延命息災」「えーっ、延命息災だとー!」
テルコは漱石ばりのことをのたまう。しかし、もっともかもしれない。帰国後、そういえば、ろくに休んでいなかった。テルコの指示通り、足湯をして少し体をいたわろう。ちょうど、とある会議(14時半〜)が延期になったことだし、、、骨休みをしよう、夕暮れまで、、、
07●テルコには、実はもう一つの蕾が息づいている。つまり、二つの花が咲く可能性があるのだ。一つは大輪の花を咲かせたが、小さな蕾は、さて、どうなるだろう?
08●テルコが僕の中に棲む
マリさんのコペルニクス的転回の提案に戻ろう。
大輪を咲かせたテルコの地中に埋まっているタマネギ(母胎)はもはや養分を花や茎(=葉)に吸い取られて、僕たちが通常、口にしているシャキシャキタマネギではないという。どうやらこれは常識らしい。だからテルコの根菜部はもう食べたくても土の中でタマネギシチューみたいになっていて無理なのである。
花開く前の蕾は天ぷらにするとほろ苦みがあって美味しいらしい。近頃仲良くなった神楽坂天つゆの作ちゃんに相談してみるか。大輪の花は鑑賞して愛で、そのうち種を収穫するのがいいのかもしれない。
マリさんの提案に戻ろう。今日時点で75センチまで成長した茎(のようだが、どうやら葉っぱらしい)を「持っていらっしゃい、愛情を込めて料理してあげるわ」との話だった。うん、しばらく愛でて、できれば種も収穫して(アユミギャラリーの片隅に撒いてみるか)、長い葉はマリさんに料理してもらおう。
そうすることでテルコと僕は一体になれる。僕の中にテルコが棲むのだ。テルコの哲学的スピリッツも詩人の魂も医学もとりこんで一緒に生きるのだ。
09●
テルコが僕の中に棲むにしても、この微熱が続いている体の中ではなんとも可哀想だ。テルコの教えを守って、早く直さねば、、、と言いつつ諸々仕事をしていると、サキコさんが夕暮れ、「センセイ、今日はもう戻られてゆっくりおやすみになられては」とこれまたやさしい言葉をかけてくれる。やはり、持つべきものは、できたスタッフだ。
だが、「これから美術塾なんだけれど、、、」と言うと、「星先生(星テルさんのご子息=テルコと兄妹になるのかな?)がいらっしゃいますから、大丈夫でしょう」「うん、そうだな。それじゃあ、雨の中、来てくれた美術塾のみなさんには悪いけれど、風邪をうつしてもいけないし、休ませてもらいましょう。明日もぎっしり予定が詰まっていることだし、、、」
ということになって、テルコの元にもどってきた。
10●
テルコに容態を話すと、「何も食べないのもよくないから西の方に行って美味しい煮魚を食べなさい。お酒は一合までなら、、、」とのたまう。雨傘をさして西に向かってテクテク歩いてゆくと、それらしい店があった。初めてだが、ふーらり入ってみる。客は誰もいない。
「いいですか?」「いいですよ。こんな日は客足も遠のいてねぇ。一人でも来てくれないかなぁ、と雨頼みをして待っていたところなの」と品のいい女将。
テルコはなんでもお見通しなんだ。
カウンター越しにマスターがいるので、少し話しかけてみる。彼もすこぶるいい人間の類いである。毎朝、築地の河岸に行って品定めをして、そこで得た魚を昼前に仕込む。そして五時半の開店に備える、ということをもう何十年もやっているらしい。テルコの指示通り、
「カレイの煮付けをお願いします」
「いいカレイがありますよ」
ということで、いい食卓となった。食欲がないのに、おいしいと感じるのは、至極、美味だったということだろう。だが、たった1.1合徳利久保田大吟醸を飲み乾せなかったのは甚だ残念であった。
11●テルコ入り玉子スープ☆テルコ完/20130614

text&llustration Suzuki Kiichi
チルチンびと別冊26号
駿河湾 今日もふーらり やってきた!!!
東京駅からひかり号に乗って
ふーらり故郷にやってきた
のんびりスケッチ風まかせ
しみじみ、人と美味と海の匂いを味わう
ふーらり静岡、行方知らずの夏紀行
01●ヒノキクラフト
持つべきものは友、教え子、そして良き後輩である。
今回は静岡に住む教え子、瑠美さん(神楽坂建築塾第11期生)から「喜一先生の高校の後輩にあたる社長も待っています」と誘われてその気になった。
父の墓参りに行きたいし、母の元気な顔も見たい。いま手がけているカズの家の二段ベッドもヒノキクラフトでいけるかもしれない、などと諸々の懸案事項をやわらかく詰めて新幹線に乗ったのだ。まだ朝なので、ビールはやめて「ビールテイスト飲料」を飲むことにする。「いけますねえ、のどごし爽快!!!」と隣に座っている同行のカズが若干はしゃぎ気味に言う。
新幹線を降りて、静岡駅北口の呉服町名店街をぶらぶらと直進し、青葉通りに向かう。この辺りは昭和40年代初期に防火帯としてつくられた低中層ビル群が多い。ふしみやビルを左に折れて、ほどなくしてヒノキクラフト青葉通り店に到着。なかなか瀟洒なショップではないか、と言いつつ二人で入って行くと、瑠美さんも社長の岩本雅之さん(以後、マサと呼ぶ)も待っていてくれた。そこで、マサの自信作「ライトチェア」をスケッチしたりしながらしばしなごやかに歓談、カズはヒノキのベッドを入念に見ている。
02●大やきいも
静岡と言ったら、知る人ぞ知る、時ちゃん(時森幹郎=神楽坂建築塾塾頭)である。平日だが仕事をやりくりして、古〜いカリーナサーフに乗ってショップに登場。「渋い!!! まるでキューバの車だねえ」とキューバ帰りの僕とカズは感嘆の声をあげた。「もう20年近く乗っています」とこともなげな時ちゃん。「いったい何キロ走っているのかな?」
もう一つ、静岡と言ったら、東草深町の「大やきいも」である。時ちゃんのカリーナはショップにおいて、マサのワゴン車で「大やきいも」にみんなで向かう。
大釜で焼く焼き芋は90年以上の伝統の味がある。後輩のマサがさっと大学芋を買ってきてくれた。秋冬だったら文句なく焼き芋で攻めるのだが、ここは竹の子ご飯を注文する。そして静岡の代名詞、おでんをみんなで食べる。一串一律60円、牛すじだけは100円と廉価。しかも美味絶品!!! 食通のマサも「ここのおでんはやっぱりうまい」の一言が出た。
このお店の佇まいも僕はかなり気にいってる。昭和初期の風情を持つ外観、土間中心の店内の素朴さ、気軽さ、ほの暗さ。そしてその中で行き交うお客も、子供からお年寄りまで庶民的で親しみ深いのである。
03●工場見学
マサの提案で、次なる目的地はヒノキクラフト足久保工場に決まった。ふーらり特有の予定外行動である。ワゴン車は安倍川沿いを走り、さらに支流の足久保川を少し上ったところで停車した。元は鉄工所だったが、そこを立体的に改造して家具工場にしたらしい。安倍川上流域のヒノキ材があちこちの作業場で丁寧に加工されている。
「ヒノキの香りがいいですねえ」「この工場なんだかおもしろいぞ」などと言って興味津々に見学していると、強烈なベルが鳴ってびっくりする。後ろからマサが「三時です。休憩時間のお知らせ」「うーん、なるほど」
工場の隣地はお茶畑だ。「さすが静岡」と都会人のカズはここでも感心している。
04●大正寺の夕暮れ
いったん、瑠美さんとマサと別れて、時ちゃんのカリーナを走らせ三人で実家に向かった。玄関の鍵が締まっている。「入れないなあ。お母さん、どこに行ったのかな」「喜一先生、電話してなかったんですか」と時ちゃん。「さっきね、したんだけれど、出なかったんだよ」と言い訳して、勝手口を確認すると引戸が開いていた。「これは不用心だなあ」と言いつつみんなで中に入る。
「ちょっと昼寝しようか」(僕)
「いいですね」(カズ)
「二人とも寝ちゃうんですか? 墓参りはどうするんですか? 」(時ちゃん)
しばらくしたら、母が帰ってきて起こされた。元気な顔を見られたので、僕たちは父の墓参りに向かう。静岡の海が見える高台の大正寺の夕暮れ、気持ちのよい風が流れている。
05●焼津寿屋
夕方六時頃、ふーらりと自由工房の石田正年さん(=イシ)を訪ねることにした。時ちゃんの「石田さんのところに寄っていったらどうですか? 」というような指示目線を感じたからである。「そりゃあ、そうだ」と即座に言って、ビルの階段を五階まで一気に駆け上る。カズが息切れを起こしている。「エレベーターがないんですか」
いきなり工房のドアを開けると、「びっくりしたあ」とイシがほほ笑んでいる。「七月の恒例の展覧会*よろしくね」「こちらこそ」「ところでいまから焼津の寿屋に行くんだけど」「いいですね。仕事にけりをつけてから追いかけます」
ということで、二年ぶりの焼津寿屋に関係者が集合。奥の座敷に6人で食卓を囲んでいる。戦災を免れた大正時代の古い建物はいつ来てもすこぶる居心地が好い。店のガラスは相変わらずピカピカだ。まず生ビールとカツオの刺身と海つぼを注文する。川海老の唐揚げは店主前島さんの特別サービスだとか。
「このカツオがうまい。皮ぎわが最高ですね」と食通の後輩マサが重みのある一言。
僕がこの老舗と出会ってからもうかれこれ20年になる。この間、折りにつけて通い続けてきたのだが、今回のこうした気のおけない仲間たちとの楽しい語らいもつくづくいいものだなあと思える夜だった。
一杯が、ニ杯と進む、初夏の夜......。
06●用宗漁港
翌日、僕とカズはなぜか用宗漁港で潮風に吹かれていた。
ここは焼津から7.1キロ東に位置する海沿いの静かな町である。東海道本線用宗駅から漁港までぶらぶら歩いていると防空壕跡のある家があったりする。道々、おばさんたちと世間話をする。「このあたりは空襲に遭わなかったんですね」「そうなのよ。だから家も古くて傾いちゃってね」「でもいい味が出てますよ」「そうかしら」「大事に直して住んでくださいね」「もう少しで漁港かな」「漁協直営のどんぶりハウスがあるからそこで昼食はしらす丼を食べたら」
海を見ながら二人は考えていた。「瑠美さんを呼び出そうよ」「同じことを考えていました」とカズ。
その後は、どうしたことか不覚にも瑠美さんに逆取材を受けてしまうことになった。顛末は下記の瑠美さんの報告ブログとなりて。
「仕事中でしたが、社長マサの許可を得て車を飛ばしていくと、漁港脇のテントで、既に缶ビールが3〜4本、空になっていました。どうやら彼らはふーらり用宗に辿り着き、漁港を見ながら、呑んで食べて、そしてスケッチをしていたようです。食べ終わると海岸へ。そして二人して靴を脱ぎ、裸足で波と戯れるのです。いったい仕事なのか、遊びなのか。遊ぶように仕事をする。まちがいなく、豊かな生き物です。でも豊かに生きるコツというのは? 止まらないこと? 外に目を向け、感じたままに行動すること? がむしゃらに、遊ぶこと? 遊び方を、発見していくこと? 発見した喜びを、分かち合うこと? 稀有なふーらり人との遭遇でした」
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